那須野が原の花や木など

 

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 先月末、長女の運転で出かけた「那須野が原」にあった、レストランで、昼食を戴きました。その玄関脇にあった、木が珍しかったのでスマホで撮影したものです。そして、席に座ってから、周りの緑が素敵でしたので、これも撮ってみました。

 東京で過ごした時間が長かったからでしょうか、行楽で出かけるのが、西の八ヶ岳や富士山、信州長野の近辺ばかりを訪ねて来た私でしたが、今回、那須塩原の周辺に、初めて出掛けたわけです。

 皇室や明治の元勲たちが好んで御用邸や別荘や牧場を、この地に設けましたから、それほど魅力的で、実益的な地だったわけです。明治維新政府の要人、特に長州藩や薩摩藩の藩士たちが、こぞって用地を取得したわけです。

 栃木の県令(県知事)をした三島通庸(いしまみちつね)は、塩原街道を建設し、那須野が原の開墾のための那須疏水を設け、人の住めない地を、肥沃な地に変えた、その功績は大きかったのだそうです。「土木県令」とあだ名されるほど、道路御意性にも熱心でした。国道4号線(奥羽街道)の整備も手掛けています。後に、警視総監の要職に就く、旧薩摩藩士でした。54歳で病没しています。

 今回は訪ねませんでしたが、塩原温泉には、文人たちが好んで逗留したのだそうです。そこで構想を練り、執筆した人に、明治期の名作、「金色夜叉」を塩原温泉で執筆した徳富蘆花、その他に、夏目漱石、国北独歩、与謝野晶子と鉄幹などがいたそうです。

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