山上の垂訓を講ずる

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 内村鑑三が、奥羽街道の宿場町であった、栃木県氏家を訪ねています。東北本線の氏家駅で下車した近くの狭間田を訪ね、聖書研究会を開いたことがありました。この地の出身の青木義雄が、在京中に、内村の集会に出ていました。この青木は、実業家・銀行家・政治家で、故郷伝道に内村を招き、内村が聖書から話をしたようです。

 この二人の交流の様子がうかがえる、さくら市の青木義雄生家に、内村からの書簡、書など400点余が遺されているようです。栃木県下の日光、塩谷への内村の旅行、宇都宮での交流があり、内村と栃木の関わりや、青木義雄との公私にわたる深い交友を伝えています。

 「山上の垂訓(マタイの福音書)」から、「聖書の読方」と題して話され、その原稿が残っています(「青空文庫」)

 『聖書は来世の希望と恐怖とを背景として読まなければ了解(わから)ない、聖書を単に道徳の書と見て其言辞(ことば)は意味を為さない、聖書は旧約と新約とに分れて神の約束の書である、而して神の約束は主として来世に係わる約束である、聖書は約束附きの奨励である、慰藉である、警告である、人はイエスの山上の垂訓を称して「人類の有する最高道徳」と云うも、然し是れとても亦(また)来世の約束を離れたる道徳ではない、永遠の来世を背景として見るにあらざれば垂訓の高さと深さとを明確に看取することは出来ない。

「心の貧しき者は福(さいわい)なり」、是れ奨励である又教訓である、「天国は即ち其人の有なれば也」、是れ約束である、現世に於ける貧(ひん)は来世に於ける富(とみ)を以て報いらるべしとのことである。

 哀(かなし)む者は福(さいわい)なり、其故如何? 将(ま)さに現われんとする天国に於て其人は安慰(なぐさめ)を得べければ也とのことである。

 柔和なる者は福(さいわい)なり、其人はキリストが再び世に臨(きた)り給う時に彼と共に地を嗣ぐことを得べければ也とのことである、地も亦神の有(もの)である、是れ今日の如くに永久に神の敵に委(ゆだ)ねらるべき者ではない、神は其子を以て人類を審判(さば)き給う時に地を不信者の手より奪還(とりかえ)して之を己を愛する者に与え給うとの事である、絶大の慰安を伝うる言辞(ことば)である。[中略]

 而して今時(いま)の説教師、其新神学者高等批評家、其政治的監督牧師伝道師等に無き者は方伯等を懼れしむるに足るの来らんとする審判に就ての説教である、彼等は忠君を説く、愛国を説く、社交を説く、慈善を説く、廓清を説く、人類の進歩を説く、世界の平和を説く、然れども来らんとする審判を説かない、彼等は聖書聖書と云うと雖も聖書を説くに非ずして、聖書を使うて自己の主張を説くのである、願くば余も亦彼等の一人として存(のこ)ることなく、神の道を混(みだ)さず真理を顕わし明かに聖書の示す所を説かんことを、即ち余の説く所の明に来世的ならんことを、主の懼るべきを知り、活ける神の手に陥るの懼るべきを知り、迷信を以て嘲けらるるに拘わらず、今日と云う今日、大胆に、明白に、主の和らぎの福音を説かんことを(哥林多後書五章十八節以下)。」

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 内村には、数多くの信仰の弟子が、全国にいたのです。彼は教団や教派などの組織を作りませんでしたし、その頭につくこともありませんでした。形式を嫌い、強制も避けました。内村の信仰の感化力は、今にまでも及んでいるのです。

 《二つのJ 》、Jesus Japan I for Japan ; Japan for the World ; The World for Christ ; And All for God.

 これを掲げて、イエスさまと日本に、自らをささげたのです。このような愛国者がいたこと、しかも、そう公言してやまなかった、正直さこそが、内村の良さなのでしょうか。

 日本という組織は、彼には手厳しく望みましたが、多くの魂を、天地の創造主、全能の父なる神と救い主イエスに導いたのです。その結果、日本の各分野で活躍する有名無名の信仰者を生み出し、育てたのです。悲哀を知り尽くした人でもありました。私たちを導いた宣教師のみなさんに、何か通じるものが感じられるのです。

(さくら市狭間田近辺にあった喜連川人車鉄道の路線図、写真です)

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