カラス

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幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。 1176節)』

 中学の時、「烏」と印刷してあった国語の教科書は、「鳥」と間違えて印刷してあると思って、ずっとそう思い続けて大人になりました。ところが、聖書をよく読んでみると、カラスの漢字は「鳥」の字から「」を除いた「烏」であることが、初めて分かったのです。すっかり間違えて覚えていたのが恥ずかしくなりました。

 だからでしょうか、カラスのうるさく甲高い鳴き声に煩わされていて、いつも文句を言っていたのです。華南の街では、一度も鳴き声を聞きませんでしたが、この街には、ことさらカラスが多いのです。黒くてうるさいから嫌いでした。そうしましたら、聖書に、時々、「烏」が登場していることを思い出したのです。

 『「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。1列王1735節)』

 イスラエルの預言者に、神が選ばれたエリヤがいました。主のことばに従って、王アハブに、「雨は3年の間降らない」と予言した後、主は、その約束通りに、烏が、エリヤを養ったのです。預言者は、食べ物に窮することがあっても、餓死はしないのでしょう。カラスが養うのだということを思い出したわけです。

 どうも、終わりの日には、〈666〉の番号を my number card  に入れていない買い物客は、食物が買えない日が来ることが、「ヨハネの黙示録」に記されてあるようです。そんな悪魔を礼拝しない基督者には、きっとカラスが食物を運んでくれると思いますので、今から、カラスたちに感謝をし、関係を友好にしようと決めた次第です。

 このエリヤは、寡婦に養われ、また、天使が用意した焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入ったつぼによって養われてもいるのです。ここに、《不思議な養い》があります。それで聖書で、主なる神さまは、「恐れるな」と言われるです。

 あの大預言者エリヤでさえ、時の権勢者を恐れたのです。この預言者もまた人だったからです。終わりの日に、人である基督者も恐れることがあることでしょう。食べ物に窮するような時も来ることでしょう。そんな時に、カラスや寡婦や天使によって、主なる神は、真の基督者を養ってくださることでしょう。

 『烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。(ルカ1224節)』

 こんな話が、ウイキペディアにあります。「カラス語」があるのだそうです。それを研究している国立総合研究大学院大学(神奈川県葉山町)の塚原直樹助教によると次のようなカラス語があるのだそうです。『「カ~カ~カ~」 カラスが餌を見つけ、仲間を呼び寄せる時に鳴く声。カラス語では「こっちに食べ物があるよ」という意味。 「カッカッカッ」 鷹などの天敵が近づいてきたことを仲間に知らせたり、警戒する時に鳴く声。カラス語では「危険だよ」という意味。 「クア~クア~」 ねぐらに帰ろうとするカラスが発する鳴き声。「安全だよ」という意味。』とです。

 カラスは、仲間を大切にする習性があるのですね。眼下の巴波川に、早朝、たった一羽の白鷺が流れの中に立って、餌を探しているのです。橋の下の水草の間に餌がいるのでしょう。ときどき啄(ついば)んでいます。この白鷺は、仲間を呼ぶこともなく、独食なのです。 

 華南の町の挨拶言葉は、『おはよう!』でも “ good morning “ でもなく、『吃了没有chile mei you』でした。『メシは喰ったかい?』という意味です。きっと食べられない時が多かったのでしょう、互いが心配し合って、『喰っていなかったら、一緒に喰っていくかい!』と誘っていたのでしょうか。あそこでは、互いを気遣う雰囲気が生活の中に溢れていました。

(“ イラストAC “ のカラスです)

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