川止め

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江戸防備のために、幕府は橋の架橋を許しませんでした。それで、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言う馬子唄が歌われたと、小学校の授業で学んだのを覚えています。これには続きがありました。

箱根御番所に 矢倉沢なけりゃ    

連れて逃げましょ お江戸まで

三島照る照る 小田原曇る 

間(あい)の関所は 雨が降る

 天下の剣、箱根には関所があって、「出女入り鉄炮」に目を光らせて、検問していたのです。ところが、雨季の難所は、「川越え」でした。雨で川が増水すると、「川止め」になって、宿場町に留め置かれて、許可が出るまで待たされたのです。松尾芭蕉も、51歳の時に、東海道を京に向かって旅をしていた途中、大井川の川留めで、島田宿に留め置かれました。その時に、次の句を読んでいます。

 五月雨や空吹き落とせ大井川

 『濁流渦巻く大井川よ、いっそのこと五月雨の空を吹き落としてくれまいか!』、五月雨(さみだれ)の雨量は半端ではなかったのでしょう、芭蕉は三日間足止めになって、空を見上げて、この句を詠んだのです。

 九州、四国、山陽、関西圏、岐阜など、8月の梅雨前線の停滞で、大雨が続いて、大きな被害が出ています。江戸期の雨で、とくに物流業者は大変だったのでしょうか。陸路は、山あり谷あり川ありで、それで流れを利用した「舟運」が盛んに行われていて、ここ栃木も、家康の亡骸を、日光に改葬するにあたって、東照宮の造営と維持のために、江戸から物資を運び登った、おもに「日光御用」の舟による輸送が行われたのです。

 「部賀舟(べがぶね)」で巴波川を上り下りし、大型の「高瀬舟」に荷を載せ替えて、渡良瀬川、利根川の流れで、江戸を行き来したのです。巴波川の「うず」は、「渦(うず)まく」様に流れる川だったので、そう命名されたと言われています。ですから、舟運も難儀することが多かったに違いありません。
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 今回の雨で、眼下に眺める巴波川の水量も、ずっと増水のままでしたが、やっと元の流れに戻ってきた様です。散歩コースの一つが、この巴波川の上流まで土手を歩くのです。流れの端には、川を逆流して舟を人力で曳き上る道があって、多くの人足が働いていたことでしょう。

 川を上下するのも、横断するのも雨の多い日本では、ことさら、架橋が許されなかった江戸期には、人々は大変だったに違いありません。それにしても、近頃の雨は半端ないのに驚きます。来年、再来年には、今年でも、九月には、フィリピン付近に誕生して北上する台風が、列島を襲う様な予感がして来ます。降った雨水を集めて流れ下る、川の流れの威力には驚かされます。

 昨夜も、遠くで雷鳴がしてくると思っていたら、しばらくして雷雨が激しく降っていました。巴波川は、瞬く間の増水でした。
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