こわさ

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 「怖さ」って善いものです。子どもの頃、家の隅っこにある厠(かわや/toilet)に、夜中に行くのが怖くて、『お母さん!』と呼んで、一緒に行ってもらったも甘えん坊でした。悪戯して怒られるのが怖くて、終礼を pass して、部室で終わるのを待っていました。また交番の前を通ると、何もしてないのに、ゾクっとして嫌でした。

 民主主義でない国では、首長が国民によって選ばれない国では、国が、国民を脅かしていますから、怖いのは秘密警察や公務員です。しばらく過ごした国では、窓口の女性は、service と言う「仕える業務」の担い手なのに、公安(警察署)の窓口人は、実に横柄でした。権威の皮を被った狐みたいで、威張っていました。

 ところが私たちに国では、明治以降、「選挙」によって、国民が、国や市や県などの首長を選ぶので、普段は威猛々しいのですが、立候補する時は戦々恐々、選挙期間中は平身低頭でお願いばかりしてます。投票者が怖いのです。

 一昨日の横浜市長選挙で、それが如実に現れたのではないでしょうか。たかが一票なのに、そんな紙切れ一枚が、どこへ行くのかを読めないところに、立候補者の「怖さ」があるのでしょうか。〈まさか〉なのか〈当然〉なのか、結果が出てしまったわけです。

 「親方日の丸」、時の権力者のご威光が、反映されないことに、非力を覚えるのも、この選挙制度の「怖さ」です。国民は、よく見て聞いて、分かっているからです。指導者の条件の一つは、「人心収攬術」に長けていなければ、ダメです。やさしく言いますと、技術ではなく、「人気」を得ているかどうかです。

 友だちになって欲し人は、自分のことを知っていて、心配してくれて、困難に立っている私のために助け舟を出してくれるような人を、だれもが友にしたいに違いありません。コロナの疫病的な危機の中で、まさに心理的な危機に陥っている、この時代人が求めている指導者は、そう言った人ではないでしょうか。

 三日くらいは徹夜ができる体力と気力の人、どこにでも何時でも飛んでいける人であって欲しいのです。会議で居眠りをしたり、寝不足で不機嫌になったりしていてはダメです。《四十代市長》なら、《五十代知事》、《六十代首相》、いえ《五十代首相》がいてくれるなら、国民は安心できます。その上、《家庭をしっかり治めている人》であって欲しいのです。

 伊藤博文が、『私は神を畏れる!』と言った欧米の政治指導者に、『私は、神も恐れない!』と言って顰蹙(ひんしゅく)を買ったそうです。真に、《神を畏れる指導者が、政界、官界、教育界、実業界などに誕生し、安心して信頼できる指導者が立ち上がってくれることを切に願う、善き友を思う八月です。

 

(上杉鷹山が治めた米沢の今の銘菓「時雨の松」です)

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