いろいろと言う

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 小生意気な中学生だった私は、教師に叱られた時、『いろいろと言うんじゃねえ!』と、それでも遠慮がちに、小声で言ったことがありました。それを聞き逃さなかった体育教師は、真っ赤になって怒ったのです。殴られると思ったら、『準、出て来い!』と言って、バスケットで〈タイマン/一対一の喧嘩〉をしようと言うことになったのです。

 授業を中断した体育館で、しばらくやったでしょうか。三十代のおじさんと、十四才の少年との対決でした。パスをする相手がいないので、壁にボールをぶつけて、ボールを持ち直して、けっきょく小僧の私に軍配が上がったのです。いろいろと自分が、たてついて言ってしまった結果でした。

 その先生は潔く敗北を認め、それ以上は、何も言わずに授業を再開したのです。この教師は、神奈川県の県庁職員になって辞めていかれました。この教師と同じ街から通っていた同級生が、自分の街の駅頭で会った時、私とのタイマンのことが話題になったそうで、『「準はどうしてる?」と懐かしく聞いてたぞ!』と言っていました。

 で、今になっても、私は、〈いろいろと言う癖〉、〈つべこべ言う癖〉がなくならないのです。中坊ではない、ある政治家が、不始末を犯した若い政治家のことを、新聞記者に聞かれて、『根掘り葉掘り聞くんじゃあない!』と、言ったとか言わないとかで、舞台裏でもめvているそうです。いろいろ言われないから堕落した政治家が、落選し、政治生命を終わらせた件数は、けっこう多いのです。こう言った人は、三階に上がらずに、一階に降りていただくのがいいのです。

 そんな私は、闇雲にではなく、「義」の立場で言うのです。正しく判断して言うようにしてるわけです。ラジオのニュースを聞いていて、いろいろと言う私に、家内は呆れています。まあ一つのゲームのようなものです。考えてみますと、〈いろいろ言われた私〉は、そのお陰で、ダメな男にならずに、可も不可もない人になれたんだと思うのです。

 コロナ騒動の中で、〈いろいろ言っていた人〉がいました。感染症と戦って来た専門家の現況を危惧する弁でした。ところが政治の指導者は、なかなかこの方に聞かなかったではありませんか。専門家の指摘したこと、こうべきと忠告したことに耳を塞いだ結果が、今の状況です。いまだに、いろいろと専門的な忠告をなさっています。それを黙らせようとしているのに驚かされます。

 そんなで、教えていただいた、いろいろ言ってくださった教師たちに、間違いはありませんでした。言ってくださったことに、深く感謝しているのです。踏み外した私に、忍耐し、見守ってくださった結果です。生意気盛りには、それが必要ですが、七十を超えたような人には、言っても難しいかも知れませんね。でも、私は、まだまだ、《いろいろと言ってくれる人》を歓迎しています。

 

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