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「伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。(伝道者12章10節)」
「後世への最大遺物(内村鑑三著)」の中で、お金も事業も、誰でも残せるものではないことを記しながら、それでも人にはまだ一つ遺すものがあり、それが「思想」だと、内村鑑三は言いました。
どうしたら思想を残すことができるかと言いますと、「著述」だと言います。つまり、《書を残すこと》なのです。内村の教えを受けた多くの青年たちは、師に倣ったのでしょうか、優れた書を、思想を残しています。そのために多くの書を読んだに違いありません。
友人の一人が熊本にいます。彼の家を何度か訪問したことがありますが、実に合理的な生活をしているのです。必要最低限度の物で、簡素に生きているのです。私の恩師も、アメリカ人だからでしょうか、実に上手に生きておいででした。必要と不必要をはっきりと定めて、余分なものを持たないで生きていたのです。
師にも友にも似ないで生きてきた私は、大陸中国に行く時に、持ち物の多くを処分しました。身軽になった私は、やっと簡素な生活ができるようになったのです。子育てが終わったこともあって、持ち続けないですむ物を捨てて、合理的な生活ができるようになったのかも知れません。
ところが、この友の家には、小図書館でもあるかのように、書斎にも廊下にも書架があって、驚くほどの蔵書があるのです。あの図書館や古書店の書棚の独特な「知の香り」が溢れているではありませんか。廊下など、体を横にして通るほどに、しかも整理して書籍が置かれてあるのです。よくもこんなにも本を買い求めたものだと、それを奥方が許したのを感心させられるほどです。
私が以前に訪ねた時に、市内の数軒の古本屋に連れて行ってくれたことがありました。昔の学生は、よく本を読んだのです。卒業時に、故郷に帰ったり、就職地に赴く前に、その本を古書店で売ったのでしょうか、掘り出し物の本が、地方の古書店には多くあるのです。
私は、地方都市に行くと、美味しい物を食べようと考えるのですが、彼は、古書店巡りをして、本との出会いを楽しむのです。その違いでしょうか、彼は、もう十冊以上の本を書き上げ、刊行しているのです。学んだこと、啓示を受けたことなどの思想を自分のものにだけすることをしないで、世に著して公にしているのです。
私も、家内が心配するほど本を持っていました。学校を出て仕事を始めた職場に、毎週本屋の営業の方が来ていました。彼を介して、河合栄治郎、柳田國男、島崎藤村などの全集や、学術書を買いました。献身してからは、カルヴァン、リュティー、バルト、ヒルティー、メイチェン、内村鑑三、藤井武、矢内原忠雄、畔上賢三、三谷隆正、榊原康夫、岡田稔などの本を買っては読みました。
けっきょくは本も処分で終わりましたが、帰国以来、また少しずつ増えていて、〈蟹歩き〉しなければならないほどにならないように気を付けております。きっと友人の蔵書の中にもあった本ですが、〈ある二行〉を確かめたくて、古書店から買ってしまいました。でも、確かめた甲斐があって、心が落ち着いたのです。「広辞苑」と「字源」を買ってきてくれて、『本を読め!』と言ってくれた父に感謝しております。
残すことなく、まだ学ぶ必要のある私は、「思想」など残しようがありません。それでも残せるものがあると、内村鑑三が言い加えました。『われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。』とです。
誰にでもできるのは、「真面目に生きること」なのです。これなら、まだ私にもできるに違いありません。創造者の前に、そんな生き方ができたら最高ではないでしょうか。
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