町火消し

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 この栃木に住み始めて二年以上になるのですが、気になることがいくつかあります。夕方になると、二機のプロペラの飛行機が、西から東に飛んで行くのです。宇都宮の自衛隊の基地から飛び立って、低空飛行で群馬県方面に行く様ですが、飛行目的や行先を確かめたこともありません。毎日ではないのですが、爆音がして、戦時下かと気になります。

 もう一つは、ヘリコプターが上空をよく飛んでいます。壬生町にある、獨協医科大学病院の “ ドクター・ヘリ” が救急で、患者の搬送をしているのです。このプロペラ音が聞こえて来ますと、『ご苦労様!』と、いつも思わされています。茂木にあるオートレース場で行われたオートバイレースの事故で亡くなった甥も、このドクヘリで搬送されたと聞いていますので、殊の外なのです。

 もう一つは、地上の出来事ですが、救急車と消防車が、よく目の前の県道をサイレン音を立てながら走って行きます。どうも火事が多いのだと思われます。とくに強風が吹くような地形ではないのですが、救急車の出動が多くて、いつも気になるのです。

 この街と江戸の間が、舟運で結ばれていて、物や人の往来が頻繁に行われていた歴史がありますから、『火事と喧嘩は江戸の華!』で、ここ栃木は〈火事〉をも、〈華〉をも舟に乗せて連れて来たのかなとも思ってしまうほどです。
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 江戸の街は火事の多いことで知られていて、そんな事が言われた様です。それで、江戸の消防管理は、民間の「町火消し」が担っていたのです。その名残が、毎年正月に行われてきている、消防庁の〈梯子のり〉の「出初式(でぞめしき)」です。

 「いろは」で呼ばれる消防団が、〈百万都市〉だった江戸の町火消しの総数は、一万人以上もいて、防災と火消しに当たっていたそうです。多くあった中で、「よ組」の構成員は、七百人以上もいたと記録されています。「漢(おとこ)」の仕事で、江戸の街が守られていたことになります。

 江戸の町の火消しによって、街が防備されたのを忘れてはなりません。幕末の江戸の騒乱の中で、防備兵の様にして、その役割を担ったとも言われています。「気風(きっぷ)」を売っただけの集団ではなかったのです。幕末にあっては、武士に代わる、治安上、重要な人たちであったことになります。

 住んでいたアパートの上階のガス爆発で、家事のほとんどをなくしたことがりましたが、引火爆発の危険を避けれたのは、奇跡だと、消防署と警察署の検証の折に言われて、驚いたり感謝だったりした経験があります。あの時家内のお腹にいた息子が、不惑四十になっています。

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