できることをする勧め

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 親の「非行対策」で、守られたかなと思い返して、亡き父と母に感謝しております。「偉くならないでいい対策」で凡々平平で過ごすことができました。今度は、「老い対策」です。自分でしないといけない様です。あるサイトを見ていたら、こんなことを言っていました。できないことはしないでいいから、できることをする勧めでした。

①歩け  車を運転しなくなりました。弟からの自転車は日本で、お世話した少年にもらった自転車は中国で盗まれてしまいました。こちらに住み始めて、ドラッグストアーで車にブッつかれて壊されてしまった自転車は廃車にしました。代車で中古の20インチ車輪の物を手に入れました。主が来られたら、駆けつけるために、買い物にも、図書館通いにも使いますが、いつもタイヤに空気を入れて、油をやって手入れをしているのです。

 それでも、自転車からも降りて、《歩け!》と言われたのです。ずいぶん歩いてきました。良いところだけではなく、悪いところにも、この足は向かいましたが、好いところにも行くことができました。そう教会です。そして友人の家です。病んだ人の病床にも行ったでしょうか。ラムレーズンを食べるためにも、最近行きました。

 どこかに入院した時に、看護師さんが、布製のmajorでふくらはぎの周囲を測ってくれました。筋肉量の測定なのでしょう。胸囲とか身長はわかるのですが、ふくらはぎ測定には驚きました。どれだけ歩いているかを知ろうとしたのでしょう。運動量の計測には、最適な部位かも知れません。

 今朝も、大通りを市役所まで歩き、そこから裏通りを歩いて、巴波川の側道に出ました。ちょっと速歩でしたので、汗をかいたほどだったのです。

 母や父の育った街も、南アメリカのアルゼンチンの外国船の入る港街も、娘のいたシンガポールも、中国のフフホトも、もちろん華南の街も、頼まれて傍聴のために裁判所まで歩いたでしょうか。それでも、もっと歩く様に勧められています。今は無理のない様に、そして閉じ籠らない様にと、歩いております。

②しゃべる  今日も、弟と姪っ子が訪ねてくれて、いっしょに昼食を摂りながら、今のこと

も最近のことも昔のことも、尽きない話題で話し合いました。話す相手がいなかったら、鏡に向かっても話せます。今では、AIと話すことも、iPadのSiriに調べたいことを告げると、答えてくれるのだと、次男がやってみせてくれたのです。人格の交流ではないのですが、これだって、会話になるのでしょう。

 年を取ると、なかなか話す機会がなくなってしまったり、億劫になって人を避けてしまって、けっきょく老いが邪魔をしたり、言い訳になったりで、だれとも話さない傾向にある様です。散歩で行き合う方に、『おはようございます!』と挨拶します。買い物に行きますと、『いらっしゃいませ!』と言われて、『こんにちは!」と挨拶を交わします。欲しい物の在処を、店員さんにお聞きします。

 人が人たるゆえんは、話せることに違いありません。カラスは、情報好感を仲間内でしていると言いますが、あれは会話ではなさそうです。

 「独り言」だっていいのだそうです。鏡の自分に向かって、激励のことばで話しかける人もいる様ですが、都合の良いことだけではなく、不快な経験だって、受け入れなければなさそうです。それができるのが、大人だからです。

 街に出ていけば、話す機会が溢れています。散歩で行き合う人でも、無言のまま通り過ぎていく方もおいでです。きっと深い思考をしていたりしてるのでしょう。もしかしたら話し合えるタイプではないと見切られているのかも知れません。

 それでも、しゃべること、話すこと、話しかけることは、閉じ籠らないことなのかも知れません。

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③笑え  指圧師のおじさんが、何とか言いながら、大笑いしているテレビを観たことがありました。それでもいいのでしょう、悲しいことばかりの世の中で、擬似で笑い飛ばせたら、スッキリしそうです。

 面白い落語を聞くのもいいのでしょう。金馬という噺家がいました。小学生の自分は、ラジオで聞いて、おかしくておかしくて大笑いをし、それを思い出してはまた笑ったのです。小学生を笑わせる噺家は本物でしょうか。上の兄の影響で、新宿の末廣亭に行く様になりました。

 「笑点」という大人気のテレビ番組がありますが、面白かったのです。でも、番組制作のために、シナリオが、制作スタッフによって作られて、出演者の一人一人のキャラクターに従って、同じ様な笑いやクスグリを入れて、番組が作られると聞いて、興醒めしてしまいました。

 話術の面白さ、クスグリなど、話の展開の工夫があって、古典とか人情物とか創作の演目があって、演者によって微妙に違って、同じ話を聞くのも、面白いのです。やはりピカイチは、六代目の三遊亭圓生だったでしょうか。関西に生まれながら、『そうでげす!』なんぞと、江戸弁で喋るのです。

 笑いですが、自分の失敗談が大いので、時々思い出しては、自分で笑ってしまい、呆れてしまうのです。

 エレミヤ書に、『おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。(31章4節)』とあります。輪の様になって踊りながら、喜び笑う時の到来を告げています。それまでも、笑うことを忘れないでい続けたいものです。

④ありがとうと言おう  生協の配達をしてくださる方が、週一でやって来られます。雨が降っても風が吹いても、玄関の呼び鈴を鳴らしてくれるのです。ドアーを開けて、『ありがとうございます。いつもご苦労様です!」』と在宅時には言います。飲み物などを用意して、それを渡しますと。『いいんですか!』と言って、その言ったありがとうに、お返しが返ってくるのです。

 スーパーの買い物をして、なるべくレジ係のいるラインに並びます。『お願いします!」と言って、打ち終わると、『ありがとうございます!」』と言うことにしています。それが短い会話につながる時もあります。人と和らぎ、関係を和ますカギのことばは、この《感謝》ではないでしょうか。

 働き始めて、給料日になると、給料袋を持って帰ると、父に、『ありがとう!』と言って、感謝をすると、苦み走った明治男の父が、実に嬉しそうな顔をして受け取ってくれました。育ててくれ、教育を受けさせてくれ、働ける様になったことへの二親への感謝でした。そうすると、夕食に、「ビール」をつけてくれました。すぐに遠慮しましたが。

 この夏、そんなことを教わりました。できないことは、もうできません。でもできることを励行するのは、大切かも知れません。今日も医者に行って、『ありがとうございます!』と、言って帰って来ました。最も言わなければならないのは、こんな愚にもつかない者を、「神の子」、「共同相続人」にしてくださった、父なる神さまへの『ありがとう!』なのだと思っています。

(“いらすとや”の「ありがとう」、「笑い」です)

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