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 「あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。 (詩篇56篇8節)」

 人が笑う声を何度聞いてきたでしょうか。また微笑む人の笑顔をいくたびも見てきました。肺炎で死なないで済んだ私を見て、母は喜んでくれました。幼い日の信友が、熱河宣教に関わり、自分の胎から産んだ子が、献身して主に仕え、大陸にまで出掛けるのを知って、『そんな異国にまで行かないでもいい!』と思いつつも、志を持って出かけたのを喜んでくれました。

 自分の腰から出た初めの子、私の長兄が、聖職に就くことに、格別に感慨深げにしていた父だったことを母に聞きました。親の自分たちの面倒をみてもらいたい思いの一方で、そう言って、父は喜んでいたのです。私が献身する前に、父は、主の元に帰ったのですが、青春の血を燃やして、若い日々を過ごした大陸に、私が行くのを知ったら、どんな風に思ってくれたことでしょうか。

 産みの両親を知らずに子ども時代を、そして一番心の揺れ動く十代を母が、どんなものを抱えながら生きてきたのでしょうか。子どもたち四人に、もう少し小遣いを与えよう思って、パートの働きに出て、路側帯に寄っていた母の足を、砂利トラのボルトで大怪我を負わされて、救急で担ぎ込まれた医院の外来の廊下に寝かされて、隣街の大病院に転院される前、痛みに耐えて必死の母の涙を見ました。子が知らない所で、母は涙を流していたのでしょう。

主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す

わが罪のため さかえをすてて
天(あめ)よりくだり 十字架につけり
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す

みくにの門(かど)を ひらきてわれを
招きたまえリ いさみて昇(のぼ)らん
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す

わが君(きみ)イエスよ われをきよめて
よきはたらきを なさしめたまえ
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛

 祖父に連れていってもらった教会、その教会学校で覚えたのでしょう、この歌を小声で歌いながら、横になっていた父の頬に流れていた涙も見たことがあります。家督を継ぐ初めの子として生まれたのに、家格に合わないとの理由で、産んだ母と無理矢理に引き離され、非嫡出の子として、養母や祖父母に疎んぜられて育った父には、もう一つの悔し涙もあったことでしょう。

 孤独に耐えて生きて来て、東京弁を話す素敵な父と出会って恋に落ち、結婚し、四人の子を父に産んで育てていた母にも、幾たびか試練がありました。同じ様な星のもとに育った共通項が、父と母を引き合わせたのでしょうか。人生って、願った様にはならないのでしょう。不幸と思えばそれっきりですが、創造者を父として知った母は、自分の人生を、創造者の御手から、受け止め直して生きたのです。

 愚痴を言ったことなど一度もありません。人を悪くいうこともなかったのです。男らしく生きる様に、息子たちを励まし叱ってくれたのです。そんな母を、父は、一目置いていた様です。出雲弁を、時々漏らす母を揶揄(からか)いながらも、感謝していたのです。その母の祈りが積まれて、父も改心をしたのです。

 「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。(詩篇30篇5節)」

 寂しい夕暮れに涙があっても、闇を打ち破って光射す新しい朝が、歓喜をもってやってくるのです。そんな朝をもたらしてくれるお方こそ、真実な神にちがいありません。厳しい人生にも、慰めがあるのだという事実を知って、生き抜いたのでしょう。戦争、物資の欠乏、敗戦、その混乱の中を、激励者、慰籍者がいて生き抜いたのです。
 
 「なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる・・もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録7章17節、21章4節)」

 父と母の人知れず流した涙を、全部拭い取ってくださる神がいること、その神と出会って、晴れやかに生きることができた両親を思い、同じ神と自分も出会った恩寵を覚えて、感謝な日を、私も生きております。

 
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