火災

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 先日、玄関の扉を開けて、来客のお母さんとお嬢さんを迎えたときに、煙の匂いがしたのです。近所で焚き火でもしているのかと思ったのですが、西隣にある足利市の山林火災の樹々が、強風に煽られて焼ける匂いがしてきたのです。

 ここ北関東は、新潟や福島にかけて、本州の中央部が山岳ですから、樹木が多くあり、山林火災の危険性がありそうです。先日、下の娘が住むオレゴンが森林火災で、住んでいる家の近くまでも火の勢いが及んでいたそうです。それで被災者のための奉仕を、家族でしていると言ってきました。それからしばらく経つと、火の向きが迫ってるので、避難の準備をしていると知らせてきたのです。風向きが変わり、雨があって鎮火したと知らせがあってホッとしました。去年のことでした。

 小学校の仲のよい同級生のお父さんが、消防署長をしていました。その頃の東京の都下の町も、ここ北関東の街も同じで、よく救急車や消防車が、サイレンを鳴らしながら、火災現場や病気や怪我を負った人の所に急行しています。親友が、お父さんのお仕事を継承したかどうか知りませんが、その仕事や使命に子ども心に憧れたのです。

 私たちにも、思い出すことがあります。まだ子育ての頃に、当時住んでいたアパートの上階で、爆発火災事故がありました。爆音とともに、階下の我が家の窓ガラスが爆風ででしょうか、完全に砕け落ち、玄関の戸が開いたのです。窓際に寝ていた私だけだ、ガラス片で頭部に怪我を負ったのですが、四番目の子を宿していた家内も、三人の子どもたちは、奇跡的に無事でした。

 私は、消化器を持って上の階に駆け上がったのですが、新建材のモクモクした黒煙で、玄関からは入れませんでした。どうすることもできず、住んでおられた婦人と飼い犬が亡くなったのです。しばらくすると消防署と消防団とが駆けつけてきて、放水し始めたのです。その水のおかげで、我が家も水浸しになったのです。

 そんな火災経験が、私たちにもありました。警察と消防署の検分で、階下の我が家へのガス漏れで、引火しなかったのを、とても不思議がっていました。専門職のその言葉で、重大な引火事故になりかねなかったことを知って驚いたのです。地方紙の聞き取りを受けたりもしました。70年の人生で、最も大変な経験だったと言えます。

 そんなことを思い出したのは、昨日が、「消防記念日」だったそうです。昭和23年3月7日に、「消防組織法」が施行されて、その記念の日でした。そう言えば、次男と家内の二人が、救急車のお世話になったこともありました。災害地でも、消防婦のみなさんの活躍などを聞いて、尊いお働きに感謝した昨日でした。

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