1955年ですから、ずいぶん昔になりますが、「テキサスの黄色いバラ」と言うアメリカの歌が、ラジオから流れていて、よく耳にしました。黄色いバラなど見たことはなかったので、不思議な思いで聞いたものです。
家内は、このテキサスから日本にやって来たアメリカ人宣教師夫妻に、若い頃に、大変お世話になっています。病気をした時に、『キューカンバージュース(キュウリ汁)を飲むと好い!』と言って、毎日、そのジュースを大きな器に入て、家に届けてくれたのです。その甲斐あって、症状が好くなりました。この受けた愛は、決して忘れられない様です。善意だけではなく、家内は信仰も受け継いでいます。
私の母も、義母も、この方にお世話になっています。それで、「テキサス」と言うと、このアメリカ人夫妻と、この歌とを思い出してしまうのです。次にような歌詞の歌でした。
There’s a yellow rose of Texas
That I am going to see
No other fellow knows her
No other, only me.
She cried so when I left her
It like to break my heart
And if I ever find her
We never more will part.
テキサスの黄色いバラ 会いに行くんだ
仲間は誰も彼女を知らない 僕だけの秘密
別れのとき 彼女は泣いた
胸が痛んだ
もう一度会えたときは
僕は二度と彼女を放さない
She’s the sweetest rose of color
A fellow ever knew
Her eyes are bright as diamonds
They sparkle like the dew.
You may talk about your dearest May
And sing of Rosa Lee
But the Yellow Rose of Texas
Beats the belles of Tennessee.
彼女は甘美なバラ 仲間も一番と認める
瞳はダイヤモンドのように輝き
朝露の如くきらめく
君の親愛なるメイとローザ・リーの歌も
テネシーの鐘も彼女には敵わない
Oh, now I’m going to find her
For my heart is full of woe
And we’ll sing the song together
That we sung long ago
We’ll play the banjo gaily
And we’ll sing the songs of yore
And the Yellow Rose of Texas
Shall be mine forevermore
彼女を探す僕の心は悲しみに満ちる
昔歌った歌を一緒に歌おう
楽しくバンジョーを鳴らして 懐かしい歌を歌おう
テキサスの黄色いバラ
彼女は永遠に僕のもの(日本語は意訳です)
私の恩師は、ジョージア州の出身でしたが、そのテキサスの一つの街で、家内を世話してくれた宣教師夫妻と出会っています。アメリカ空軍の将校でしたが、それを辞めて、日本にやって来て、宣教を始めています。としますと、家内も私も、「テキサスのDNA」を受け継いだのでしょうか。彼らの生き方や人生観や価値観に啓発されたからです。
でも彼らの信仰や生き方は、「テキサス気質」や「テキサスDNA」とは違います。そのテキサスの田舎町で毎年行われた集会で育まれ、挑戦された高貴な精神性や使命を持っていたのです。
「それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。(マルコの福音書 16章15~18節)」
そう言った「世界宣教の重荷」は、テキサスだけのものではありません。カルフォルニアのロサンゼルスからも、ドイツのシュバーベンからも、スイスのベルンからも、この世界に東の端にある私たちの国に来てくださって、違った文化圏で宣教の業に従われた方々が、多くいらっしゃったからです。
自分が何を受け継いでいるのか、長く考え続けています。実に素晴らしいものを受け継がせてもらったと感謝しているのです。それはアメリカのテキサスだけからのものだけではありません。それは国家や民族や言語や性別や年齢を超えた、《世界大》で広範なものでありました。永遠性を持った高貴な理想であり、夢であり、幻なのだろうと思い返しています。
私たちの子も孫も、それを受け継いでいるのです。私たちの過ごした華南の地の海岸部には、イギリス人宣教師たちが伝道をして、五代、六代の人たちが信仰を受け継ぎ、一度訪ねた漁村では、90%もの人たちが信仰を受け継いでいると言っておいででした。ちょうど農夫が種を蒔く様にして宣教の業が行われ、実を残したことになります。
.