お白洲

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 「わいろ」と「政治献金」のお話です。菓子箱の底に小判を隠して、『ご挨拶に参りました!』と手土産を差し出す場面が、時代劇によくありました。お代官様は、その菓子の底の小判を確かめると、『うむ、分かり申した!』と、裏取り引きに手を染めて、偽手形や特権の権利書などを発行していくのです。そんなこんなで、お代官様は、在任中に一財産を築き上げて、左団扇で余生を送るのです。

 家が豊かなので、ばか息子がそれを、親に見習って、妾を囲い、遊興や博打に散財して、身も財も滅ぼし、お家は崩壊と言うのが、三文芝居の筋書きです。そういった反面、庶民、町民は、たまに落語や小屋掛の芝居に出かけるくらいで、地味で勤勉な生活をしていたのでしょう。堅実な生き方をしていた様です。

 賄賂を英語では、"under sleeve “ と言うそうです。これは日本や江戸時代にあっただけではなく、洋の東西を問わず、二十一世紀にも横行している裏交渉です。先日も、有名なアメリカのテレビ俳優が、自分の娘の大学進学に、これをやって、刑務所送りになったとニュースが伝えていました。実力がないのに有名校に進学して、また賄賂攻勢で単位を積んで、無実力の社会人になって、社会的立場を得て、また賄賂をもらって生きるのでしょうか。
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 主要な官庁の大臣をした人の選挙贈賄事件の裁判が、今まさに行われています。以前、住んでいた街の市会議長をした方のご婦人のお世話を、家内がしたことがありました。すでにご主人とは死別して、残された財で生活をしていたのです。このご婦人が、『悪い人がいるんですよ!』と家内の同情を買うために、過去を語ったそうです。『主人の選挙の時に、票集めで知人にお金を配ったら、それを言いふらした人がいたんですよ、なんと悪い人なんでしょう!』と。

 賄賂は地方選挙では、常套手段で、お代官様の菓子箱と同じなのです。これは国政選挙でも、多くあることで、ムヒカ元ウルグアイ大統領の様な、清廉潔白な政治家、貧乏な政治家は稀なのではないでしょうか。賄賂をもらってしまうので、〈心は小さく財布の大きな政治家〉になってしまい、もうその段階で、義を行えない政治家に成り下がって、国内外の賄賂提供者の思いのままに動かざるを得なくなってしまうのです。

 政治上の不正でも何であれ、しでかした事事は、いつの間にかうやむやになって消えてしまうと、多くの人が考えているのですが、そうではありません。人は行ったわざに応じて、裁かれ、その申し開きをしなければなりません。個人はもちろん、国や公共団体や企業体が犯した悪事も問われる日が来ます。とくに国の命運、人類の将来を決めるべきことを、誤った責任は、大きいからです。

 人類には、最後に審判の〈お白洲の筵(むしろ)〉に、誰もが座らされる時がありそうです。隠れてしたことが露わにされてしまうのです。『誰も見ている人がいなかったはずなのに!』と思ってみても後の祭りです。《お天道様》と言われる万物の支配者は見ておられ、記録されていて、言い逃れはできないのです。私も、そのお白洲に座すのですが、感謝なことに、私には《代わって死んでくださり弁護してくださるお方》がいるのです。

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