大岡越前守忠相

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 江戸南町奉行であった大岡越前守忠相(ただすけ)の「お裁き」を、講釈師の村井貞吉が書き上げてたものに「大岡政談」があります。これは史実ではなく創作で、「講談」という話芸で語られたものす。その中に、「子争い」言う出し物があります。

 『ある時、大岡越前の所に、ふたりの女がひとりの子を連れてやってきました。ふたりの女は共に、「自分こそこの子の本当の母親です」と言って譲りません。そこで、大岡様はこう言いました。「子の腕を持て。お前は右じゃ。そちは左を持つがいい。それから力いっぱい引き合って勝ったほうを実母とする」女たちは子供の腕をおもいきり引っぱり始めましたが、子供が痛がって泣くので、一方の女は思わず手を放しました。勝った女は喜んで子を連れて行こうとしましたが、大岡様は、「待て。その子は手を放した女のものである」 と言うのでした。勝った女は納得できず、 「なぜでございます。勝った者の子だとおっしゃられたではありませぬか」 と激しく抗議しました。そこで大岡様はおっしゃった。「本当の母親なら子を思うものである。痛がって泣いているものをなおも引く者がなぜ母親であろうか」と。』

 この話は、中国宋代、紀元1200年頃の「棠陰比事(とういんひじ)」の出典だと言われています。『兄と弟の妻が同時に妊娠した。兄の妻は自分の子が生まれる前に死んでしまったことを隠し、無事に生まれた弟の妻の子を自分の子だと主張する。跡継ぎがいなければ財産を相続できないからだ子をめぐって2人の女は争い、裁判に。判事は子を奪い合わせ、勝った方を母親と認めるとした。兄の妻は子の足が折れるほど強く引っ張り、弟の妻は子がかわいそうで力を入れられない。それを見た判事は、子を弟の妻のものとした。』という話です。

 ところが、この話にも出典があるのです。遥か、紀元前900年代のイスラエルに、ソロモンという王様がいて、二人の母親の子をめぐる争いを裁いた「ソロモンの裁き」に酷似しているのです。この話では、王がこの子を切り裂いて分けようとしたのですが、一人の母親は、『自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。「わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。」』と言います。それでこの女が、実の母親であると分かり、ソロモン王は、その一件を落着させたのです。

 一つの話が、イスラエルから中国の宋の時代に、そこから江戸(もしかしたら明治にはいってかも知れませんが)に伝わったのは、そう言った人情派、正義派の話を、洋の東西、時の今昔を問わないで、人々が好むからなのでしょうか。それにしても、実に賢い裁きではないでしょうか。

 この大岡の功績は、「目安箱」を江戸の街角においたことでした。江戸庶民の不満を、江戸の治世に生かしたそうです。また、「小石川療養所」を開設し、治療代の払えない貧しい人たちに、治療を提供しています。また、飢饉対策で、「サツマイモ」の栽培を奨励しています。ちょうど今の東京都知事の様な仕事をしていた、「名奉行」の誉が高かった人でした。

 大岡は、地方の行政責任者ですが、目利きの鋭い大岡の様な、「政(まつりごと)」を、国政に当たる、第99代内閣総理大臣の菅首相に期待したいものです。芝居や映画の様なものではない、今の時代の抱えている問題を、偏らずにお裁きしてほしいものです。

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