わが世の春

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作詞が北山修、作曲が加藤和彦で、アメリカ人のベッツイ&クリスが歌ったフォークソングの「白い色は恋人の色」は、1969年に、多くの若者を虜にしていました。

花びらの白い色は 恋人の色
なつかしい白百合は 恋人の色
ふるさとのあの人の
あの人の足もとに 咲く白百合の
花びらの白い色は 恋人の色

青空の澄んだ色は 初恋の色
どこまでも美しい 初恋の色
ふるさとのあの人と
あの人と肩並べ 見たあの時の
青空の澄んだ色は 初恋の色

夕やけの赤い色は 想い出の色
涙でゆれていた 想い出の色
ふるさとのあの人の
あの人のうるんでいた 瞳にうつる
夕やけの赤い色は 想い出の色

ベトナム戦争の反戦ソングが、日本の若者にも支持され、その流れの中で、多くのフォークソングが生まれました。この歌もそうで、やはり「昭和の歌」という感じがしてしまいます。泥沼の様にベトナム戦争が続き、中国では文化大革命が行われ、わが国では、成田に新東京空港の建設が着手されたりしていた時代でした。

日本人歌手が、アメリカの歌が翻訳されて、それを歌うことばかりでした。そん中、外国人の女性が、ギターを奏でながら、日本語で歌うということは、それまでありませんでした。しかもケバケバしくなくて、清楚な服装で、楚々として歌ったのですから、日本人、とくに若者たちが騒ぎ立ったのです。かくいう23の私も、アメリカ映画に出てくる様な、真っ赤な口紅と深いアイシャドウの出で立ちでないのが気に入ってしまいました。
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作詞の北山修は、作詞家ですが、精神科医で、大学教授を歴任しています。隣の小山市にある白鴎大学の副学長を勤めたりした方です。作曲をした加藤和彦は、”ザ・フォーク・クルセダーズ“ のメンバーの一人で、当時、日本の社会に衝撃的をもたらせた「帰ってきたヨッパライ」を作曲しています。友人に精神科医の北山修がいながら、軽井沢で60過ぎてから、うつ病が昂じたのでしょう、自死してしまいました。多くの人に、感動や安らぎを与えた人のその後の人生には、違ったことが起こってしまうのは、残念なことであります。

私は、社会人2年目で、全国で開催される研修会のお世話で、飛び回っていました。この歌がはやる前年の暮れに、〈三億円事件〉が、府中市内で起こり、私の働いていた職場にも、刑事がやって来たのです。事件は、未解決のまま今に至っていますが、犯行現場は、高校の運動部の冬季練習で、塀の周りを三周した、府中刑務所の北側の塀の外でした。

久しぶりに、この「白い色は恋人の色」を口ずさんで見ると、幼い日や、青春の日々が思い起こされてきます。ふるさとの野花や夕焼けは、瞼(まぶた)の底に焼き付いている様です。父や母がいて、兄たちや弟、近所の遊び仲間、学友などもいて、そんなに豊かではなかった時代の中で、嬉々として遊び、喧嘩し、悪戯をしていた日々が幻の様です。「白い花」が眩しかった50年も前の《わが世の春》でした。

「“Photo Chips”から白い花、ベッティとクリスです)

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