度量

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 1978年10月、終戦後、初の要人として日本を訪問した鄧小平氏は、23日、夫人同伴で昭和天皇を表敬訪問しました。この裕仁天皇は、中国への罪意識、償いの気持ちをとりわけ強くも持っておられたのです。鄧小平氏の顔をみるなり、『わが国は御国に対して、数々の不都合なことをして迷惑をかけ、心から遺憾に思います。ひとえに私の責任です。こうしたことは再びあってはならないが、過去のことは過去のこととして、これからの親交を続けていきましょう!』との気持ちを述べたと言われています。その瞬間、鄧氏は立ちつくし、電気にかけられたようになって、言葉が出なかったのです。しばらくして、鄧小平氏は、『お言葉のとおり、中日の親善に尽くし……』と応じられました。『鄧小平氏の衝撃は、<簡単なあいさつ程度で過去に触れない>という日中外交当局と宮内庁の事前了解と違っていたこともあるが、やはり天皇の率直な語りかけが心を打ったのだろう!』と、この会見の一部始終を見ていた入江相政侍従長が、後に語っておられます。

 これは人間宣言をされた昭和天皇の隠されたエピソードです。侵略戦争に終始反対のお気持ちを持たれていたのですが、軍部に押し出され、押し切られ、不本意な決断を苦渋の中で下さなければならなかったと歴史は伝えます。敗戦後の連合軍最高司令官だった、ダグラス・マッカーサーは、戦犯として戦争責任を問おうとしますが、蒋介石の進言によって、取りやめております。さらに占領政策を進めていく上で、天皇のおられることの意味を評価したからでもあったようです。戦後、〈天皇巡行〉が行われますが、行く先々で、歓喜の声で迎えられて、国民も、誰もが戦争責任を問おうとはしなかったのです。

 一方、鄧小平氏は、四川省に生まれ、本名を「先聖」と言いましたが、身長が高くないこともあり、謙遜さのゆえに「小平」と名乗り、中国の〈解放改革政策〉を推し進めて、世界第二の経済大国へと発展させた貢献者です。若い日には、フランスで学び、〈長征〉、〈抗日〉の戦いに参加した勇士で、1983年以降、主席として、中国の近代化を推し進めてこられました。日本との関係の中では、こんな逸話も聞いたことがあります。1977年10月7日、元陸軍軍人で自衛隊の将官も務めた、自衛隊OBらが中国を訪問しました。中日の軍人の交流の可能性を探るのが目的だったのですが、突如として鄧小平との会見が実現します。

 その時の様子を、2004年12月10日(金) 、萬晩報主宰・伴武澄氏は、『~センチメンタルな反戦主義者ではなかった鄧小平~ 日本側が「先の戦争では申し訳なかった」といった内容のことを述べると、鄧小平は発言をさえぎるようにして「われわれは日本軍をそんなに悪く思っていませんよ」というような意味の発言をしたのだから一行はあっけにとられたに違いない。 絶対に見間違ってならないのは、鄧小平はセンチメンタルな反戦主義者ではなかったということである。冷徹な努力家であり、前線で戦ってきた野戦軍人だったのである。

  中国共産党は1930年代に入っても、国民党の蒋介石軍に対して劣勢で、江西省の山岳地である井崗山(せいこうざん)で包囲されていた。共産党軍は井崗山から脱出すべく、長征の途についた。目的地の峡西省北部の延安までは、中国の辺境といわれるチベットとの境界や青海省などの峻険な山岳地帯が選ばれた。この途上、毛沢東が本格的に共産党の主導権を握ったとされる。だが、延安にたどりついたときは気息奄々、共産軍は全滅寸前だった。ところが日中戦争が始まり、西安を訪問中の蒋介石は張学良に捕らわれ、国共合作を余儀なくされ、共産党がかろうじて生き延びる道が開かれたのである・・・』と記しています。

 鄧小平氏の懐の深さ、度量の大きさには、驚くべきものがあります。この会談が人民大会堂で行われたときに出席していたのは、鄧小平、廖承志、王暁雲、孫平化、金黎、単達析の各氏でした。会談の中で、、『日中の交流は、漢の武帝の時に始まったといわれるが、それから約2000年、短くみても1500年になる。100年は喧嘩状態だったが、1400年は友好的 だったのだ。100年の喧嘩は長い間におけるエピソードにすぎないと言えよう。将来も、1500年よりももっと長く前向きの姿勢で友好的にいこう。今後の 長い展望でも当然友好であるべきである。 』と、鄧小平氏は語られたのです。


 中国と日本の友好を志向した鄧小平氏の願いをついで、これからの1500年、更なる友好が実現されていくことを願っている私たちですから、これに呼応していきたいと思っております。今年3月の大震災以降、中国が国を上げて、救助隊を派遣してくださり、物心両面で支えてくださり、応援・激励のメッセージを送ってくださった〈友誼〉には、衷心から感謝を覚えております。[ARIGATO謝謝CHINA!]

(写真上は、鄧小平氏が『白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である(不管黑猫白猫,捉到老鼠就是好猫)』と言われた「白猫黒猫」、下は、「謝謝」です)

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