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昔は、中学校五年を終えると、大学に入学する前に、3年間の予備門の過程がありました。一高、二高、三高、旅順高等学校と言った様に、「旧制高校」があったのです。戦後、この予備門は、大学の教養過程になっていきます。一高は「東京大学」、二高は「東北大学」、三高は「京都大学」でした。
高校生たちは、学生服にマントを被り、高下駄(朴歯)を履きながら、街を「蛮カラ」に闊歩したのだそうです。その時の愛唱歌が、「寮歌」でした。ちなみに、中国大陸にあった「旅順高等学校寮歌(作詞・作曲は宇田博)」は次の様な歌詞でした。
1 窓は夜露に濡れて
都すでに遠のく
北へ帰る旅人一人
涙流れてやまず
2 建大 一高 旅高
追われ闇を旅ゆく
汲めど酔わぬ恨みの苦杯
嗟嘆(さたん)干すに由なし
3 富も名誉も恋も
遠きあくがれの日ぞ
淡きのぞみ はかなき心
恩愛我を去りぬ
4 我が身容(い)るるに狭き
国を去らむとすれば
せめて名残りの花の小枝(さえだ)
尽きぬ未練の色か
5 今は黙して行かむ
何をまた語るべき
さらば祖国 わがふるさとよ
明日は異郷の旅路
明日は異郷の旅
書を読み、哲学を語り、将来の夢を分かち合い、放歌高吟し、その三年間は、素晴らしい時だったそうです。私の父は、「秋田鉱業専門学校(現在の秋田大学資源学部)」に学んだと言っていました。また私の最初の職場の上司は、「浦和高等学校」、「東京大学」に学んだそうで、酔うと、時々、学生の頃を語っていました。
また、「篠山節」の一節をも歌ったそうです。
『旧制高校の学生たちに愛唱された。掛け声のデカンショは哲学者デカルト、カント、ショーペンハウエルの略とされるが、盆踊り歌「デコンショ」や「デゴザンショ(出稼ぎしょ)」からという説も。代表的な歌詞は、「デカンショデカンショで半年暮らすアヨイヨイあとの半年寝て暮らすヨーオイヨーオイデッカンショ」。』
昔の学生さんは、哲学者を歌い込んで、蛮カラ気取りだったのでしょう。この三人の哲学者の他に、「ヘーゲル(ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770年8月27日 – 1831年11月14日)がいました。ドイツのシュトゥットガルトの出身で、哲学の世界では著名で、旧制の学生に慕われていたそうです。
この人は、1831年に、「コレラ」に罹って亡くなっています。この「コレラ」は、東アジアで大流行をしたのが、幕末から明治にかけてでした。鎖国が解かれて、開国の動きの中で、日本でも、「コロリ(コレラに罹ると“コロリ”と亡くなったので、そう言われたそうです)」と言われて大流行したのです。
グローバル化の中での、今回のコロナ禍の動きに通じるものがありそうです。この時期に、難しいヘーゲルの書を紐解くのもよいかも知れません。
( ” Pinterest “ から旧制高校の学生の姿です)
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