暖炉

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1974年の1月のことでした。よく聞こえてきたのが、「襟裳岬(作詞が岡本おさみ、作曲が吉田拓郎、唄が森進一)」と言うフォーク調の歌でした。暦の上では「初春」でしたが、まだ真冬の天気、そんな寒さの中で、聞こえてきたのです。

北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を
ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です

君は二杯めだよね コーヒーカップに
角砂糖をひとつだったね
捨てて来てしまった わずらわしさだけを
くるくるかきまわして
通りすぎた 夏の匂い
想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です

日々の暮らしはいやでも やってくるけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので
身構えながら 話すなんて
ああ おくびょう なんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友だちが 訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

この歌詞に、「暖め合おう」とか「温まっていきなよ」と誘っている「暖炉」があり、暖房は、炬燵と火鉢、薪や石炭や石油のストーブ、そしてエアコンくらいしか知りませんでしたから、「暖炉」は、どんなにか暖かいかと羨ましく想像していたわけです。

古い歌に、「ぺチカ」という暖房器具が歌われて、知っていましたが、歌を聞いただけでは想像することができませんでした。満州やシベリアで使われていたもので、暖炉と調理に使われてていた様です。朝鮮半島では、薪やワラを、近年では練炭を燃やした「オンドル」があります。壁や床に暖気を送って、部屋を暖める暖房です。

子ども頃、父の家には、炬燵と火鉢があっただけで、それが標準的な日本の冬の暖房でした。それでも寒さの記憶がありません。三年前に入院した札幌の病院で、病友の子どもの頃の冬の「開拓部落」の昔話を、食後のテーブルで、何度も聞かされました。と言うか、聞き出したのですが。

窓の隙間から入ってくる雪で、朝になると、肩の辺りの掛け布団に雪が積もっていたとか、雪を沸かして水を作ったとか、馬橇(うまぞり)で雪かきをしたとか、冬の生活の大変さを語っていました。でも、そんなみなさんから、逞しさが伝わってきたのです。

もう北海道、襟裳あたりでは、「暖炉」に火が入ったことでしょうか。燃料は、薪ではなく、重油が燃やされて、部屋を暖かくしているのでしょう。そして、『温まっていきなよ!』と誘っていることでしょう。そう言えば、山形の新庄の出身の同級生が、冬の東京の寒さに凍えていました。東京の暖房が、十分な熱を与えていなかったからです。半世紀も前の話です。横浜に住んでいる様ですが、どうしてるでしょうか。

先日、お邪魔した矢板市(高根沢町の隣りです)在住の方の家にお邪魔した時、客間に「薪ストーブ」が焚かれていて、実に気持ちよい暖かさで、一足早く冬を感じたのです。昨日、大型スーパーの暖房売り場に、「電気暖炉」がおいてあり、郷愁に誘われたのでしょうか、オイルヒーターの代わりにいいなと思ったのです。あんなに暑い夏が、嘘の様に、冬の寒さが、もう見え始めて来ています。

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