ふるさと

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作詞が高野辰之、作曲が岡野貞一で、「故郷(ふるさと)」は、1914年に、小学校6年生用の音楽教科書『尋常小学唱歌(六)』に掲載されました。

兎追いし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

如何にいます父母
恙無しや友がき
雨に風につけても
思い出づる故郷

志を果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷

誰にもいるのが「両親」、誰にもあるのが「故郷」と言えるでしょうか。でも「故郷」は、一体、何処にしたらよいのでしょうか。出生地、生育地でしょうか。生育地でも、転勤の多かった父親の子は、幼児期を過ごした街でしょうか、小学校の初期、中期、後期、どの頃でしょうか。中学や高校時代を過ごした街は、もう「故郷」とは思わないかも知れません。

この歌の二番に、「恙(つつが)なしや友がき」とありますが、『共に小鮒を釣り、里山を駆け巡り、学び、叱られ、涙した幼な友だちは、平穏無事な今日を生きているだろうか?』と言う意味でしょうか。跳びはねていた友も、もしかすると病と老いの日を送っているかも知れません。

家内の治療費を払い、薬をもらうために、院内のベンチに座って待っているのですが。目の前を歩いて行く方たちの多くは、初老、いえもう全く老人となったみなさんなのです。戦時下を、戦後を耐えて生きた世代です。校庭を隅から隅まで思いっきり走り抜き、柿の木に登っては実をもぎ、桑の実を頬張った、あの力が漲(みなぎ)った日々があったのだろうと思ってしまうのです。もちろん自分も含めてです。

人生、七十年、八十年、瞬きの間でした。いつまでも元気過ぎては、若い方たちに申し訳ないのでしょう。遠慮がちに、今を生きているかの様です。誰にも親がいて、誰にも故郷があるのです。ピシッとネクタイを締め、背広を着、ピカピカに磨き上げた黒靴を履いて、綺麗に散髪をして、颯爽と東京に出かけて、帰って来る父の姿が、五十代の後半から、ガラッと変わったのです。

何処が故郷であっても、そこに父や母がいました。歳をとった私を、子どもたちが、今見ているように、あの父の変化は、まだ若かった私の目にはちょっと衝撃的でした。でも今思うに、これこそが人の生きて行き、生きて来る道だと、やっと分かって納得できるのです。

それにしても、この歌の歌詞が変わってしまったのが納得できません。「恙なしや友がき」と、けっこう前難しいのに、「いかにおわす父母」を、「いかに居ます」に変えてしまったことです。『故郷の父や母はどうしていらっしゃるだろうか』の意味が微妙に違ってしまっているのです。作詞者の原意や作意を変えてしまうのは、どうでしょうか。

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