別れ

 

 

作詞が福山たか子、作曲がフランシス座波の「別れの磯千鳥」という歌が、若い頃に、よく聞こえて来ました。1952年に売り出された曲ですが、私が聞いたのはリバイバル発売の曲でした。

逢うが別れの はじめとは
知らぬ私じゃ ないけれど
せつなく残る この思い
知っているのは 磯千鳥

泣いてくれるな そよ風よ
希望(のぞみ)抱いた あの人に
晴れの笑顔が 何故悲し
沖のかもめも 涙声

希望の船よ ドラの音に
いとしあなたの 面影が
はるか彼方に 消えて行く
青い空には 黒けむり  黒けむり

日本人は、「出会い」よりも「別れ」に特別な感情を持つのでしょうか。しかも、その「別れ方」が上手ではない民族なのかも知れません。と言うか、東アジアでも極東の日本は、殊の外、そう言った傾向があるに違いありません。

人と人、男と女、親と子、師と弟子、上司と部下など、「会う」と、必ず「別れ」が、遅かれ早かれやって来ます。また物や機会や時とも別れて、私たちは生きて来ましたし、これからも生きて行くのです。どうもこの別離には、「嗚咽(おえつ)」とか、「涙」とかが付きものの様です。

一度したかったのが、『ボウオー!』や『ジャンジャンジャン!』と汽笛やドラが鳴る波止場での〈テープの別れ〉でした。行く人を残る人が見送る時に、両者を結んでいたテープが切れてしまう、ロマンチック、感傷的な「別れ」の場面です。悲しみがいいのでしょうか、嫌なのでしょうか、ちょっと子ども心にも、切なさそうに感じたのですが、それをやってみたかったのです。

昭和が行き、「令和」が来ました。〈西暦〉で間に合わせて生きて来ましたので、申し訳ないのですが、雲の上、お上の出来事は距離があり過ぎて実感がありません。卒業も進級も転勤もない年齢になって、世の中から浮き上がって、都から離れた街で暮らしをしている身には、遠い出来事の様です。

もちろん子や孫の世代は、変化があるのですが、家内の次の通院日や、晩ご飯に何を食べるかの関心がほとんどになってしまいました。これではいけないと、大学の公開講座や、この街の老人大学の受講などの案内を見ていますが、これと言ったものに、まだ出会いません。何年も何年も前に、特急電車に乗って、J大やR大の公開講座を受講した日々の情熱が蘇って欲しいものです。

勤めていたら、この昭和から令和への〈10連休〉は羨ましかったことでしょう。でも、帰国以来、連休している様で、してない様で過ごしています。家内の闘病を支えるのも、また大切な日常だと思っているのです。その家内が、『《休暇》をとって温泉でも行ってのんびり・・・』と、このところ二、三度言っています。休暇不要の今日この頃です。

(佐渡汽船の「別れのテープ」です)

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