旅立ち

 

 

三月は「旅立ちの春」と言われています。「別離の月」でもあり、小学校、中学、高校、大学、あれっきり、会うことのない級友たちは、どんな年月を過ごして、今日を生きているのでしょうか。

10円をカンパし、廊下に立たされ、肩を組み合い、隠れてタバコを吸い、名画座にジェームス・デーンを観に行き、九州旅行を共にし、殴り合い、ポケットに恋文を入れ、『じゃあな!』と言ったり、無言のまま別れた彼らは、どうしてるのでしょう。

みんな昨日の日のように思い出されてきます。島崎藤村が、「惜別の歌」を詠みました。歌にもなったのです。

遠き別れに 耐えかねて
この高殿に 登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣を ととのえよ

別れと言えば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を 眺むれば
夢はずかしき 涙かな

君がさやけき 目の色も
君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ

君がやさしき なぐさめも
君が楽しき 歌声も
君が心の 琴の音も
またいつか聞かん この別れ

この歌を、よく歌っていた級友もいました。卒業して、結婚式に呼ばれて、一度、新婚世帯を訪ねたっきりです。また教師をしていましたので、「旅立って行く教え子たち」を送り出した経験もあります。涙や笑いや、様々な感情の交錯する季節ですね。

でも「出会い」も「再会」も、人生にはあります。いつでしたか、通り過ぎようとしていたバスから、わざわざ降りて、懐かしい顔を見せ、語り掛けてくれた教え子がいました。結構、満員電車に中で、背中合わせになる人の中に、懐かしい人がいるのかも知れません。あの広い中国で、そんなことが2、3回ありました。

場所と時を共にした人というのは偶然ではありませんし、再会だって、けっこう必然であったりするのでしょう。そんな再会の期待感で、『今日も電車に乗ってみようかな!』と思っている朝です。

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