指折り

 

 

「雪原に咲く花」と言われる「福寿草(フクジュソウ)」です。春を告げる花の代表で、「元日草(がんじつそう)」とか「朔日草(ついたちそう)」とも呼ばれるそうです。江戸の昔から、《めでたい》という意味で、言われ続けています。

「大晦日(おおみそか)」になりました。幾年(いくとせ)生かされてきたことでしょう。今日、一番、するに相応しいのは、この一年の「恵み」を、指折りしながら、数えることに違いありません。病に伏せった日もありましたが、その日だって、感謝で素敵なな日でした。健康である素晴らしさを、思い返すのは、そんな日だからです。

今住んでいる小区の門の近くに池があって、ついこの間まで、「蓮の花」が咲いていました。その池を見ると、跳び越えてみたい衝動に駆られるのです。きっとうまくいかないで、池の中に落ちるのではないかと思って、しないでいます。また、主要道路の中央には、「分離帯の柵」があります。それも超えてみたいのですが、うまく越超えられずに、ドスンと落ちそうで、しないのです。

何時までも、そんな若者の衝動に、行動が駆り立てられ、誘惑されるのですが、これって歳を重ねても、変わらないでいるのです。そんな自分に、呆れてしまいます。池や柵ではなく、まだ越えなければならない、〈心の柵〉がありそうです。妻と四人の子どもたちも、四人の孫たち、二人の兄と一人の弟、多くの友や同労者や隣人、そんな人たちが思いの中にやってきます。

13回目の越年を、ここ華南の街でしようとしています。昨日も多くのみなさんと、一年を振り返り、迎える2019年に、思いを馳せました。『奥さん、お大事に!』と、何人もの方が家内の体調を心配してくれました。年明けの1月末に、帰国の予定を話しましたら、帰りしな、門の外まで追いかけて来た、一人の娘たちと同世代のご婦人が、『きっと帰って来てくださいね!』と、涙目で言ってくれました。

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