期す

 

 

先ほど来(18日の午後のこと)、机に向かいながら、何となく頭を掻いていましたら、ふと思いにやって来たのが、「白頭掻けばさらに短し」の杜甫の詩の一節でした。

『春望』

國破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵萬金
白頭掻更短
渾欲不勝簪

これを、中学生に時に、次の様に読んだのです。

国破れて 山河在り (くにやぶれて さんがあり)
城春にして 草木深し (しろはるにして そうもくふかし)
時に感じては 花にも涙を濺ぎ (ときにかんじては はなにもなみだをそそぎ)
別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす (わかれをうらんでは とりにもこころをおどろかす)
烽火 三月に連なり (ほうか さんげつにつらなり)
家書 万金に抵る (かしょ ばんきんにあたる)
白頭掻けば 更に短く (はくとうかけば さらにみじかく)
渾て簪に 勝えざらんと欲す (すべてしんに たえざらんとほっす)

『白髪頭を掻いてみると、頭髪が短くて(薄くて)、櫛(くし)やかんざしを挿すほどの束ねた髪のない自分なのだ!』、まさに私の現状です。もう、十数年になりますが、右肩の腱板を断裂し、その縫合手術のために、私たちの住んでいた街の市立病院に入院しました。結構大変な手術でした、当時同じ様な患者さんが、5人ほど入院していて、手術を担当して下さった主治医は、その道の専門医でした。同じ病室に、私たちの親しい友人のお兄さんがいたのです。

それは偶然の同室で、隣り街で、畳職人をされていた方ですが、全身を大怪我をされて、ほとんど体を動かせませんでした。それで、食事の後片付けなど、細かなことを助けて差し上げていたのです。お聞きすると、同じ年の生まれで、同じ山奥の沢を二つほど西に行った所の出身でした。ある時、この方が長髪を、丸刈りにされたので、看護婦さんにお願いして、バリカンで、私も刈ってもらったのです。

それ以来、手入れが簡単なこともあって、ずっと丸刈りにしてきています。杜甫も、髪の毛が薄くなったのでしょうか、ふと白髪頭を掻いてみたら、男用の「簪(かんざし/中国では以前、男性も用いた様です)」ができないほどに薄くなっているのに気づいたのです。長年の流浪の身の厳しさが伝わってくる様です。

私の毛の薄いのは、父譲りで、そんな杜甫ほどの苦労の辛い体験は、ほとんどありません。男は、「毛」でなく「気」で生きているのだと思っていますので、全く「毛」にしていません。いえ「気」にしていません。こう白頭を掻きながら、今年も暮れていく様です。昨日は、誕生日でした。ずいぶん長く生きてきた、いえ生かされてきたものです。

そうですね、『来年も!』と心を期しているところです。こちらに留まって、助けられたり、助けたり、もう少しの時を、こちらで過ごそうと決めたところです。年明け早々、一時帰国をし、ビザを取得できたら、心を整えて戻って来ようと思っています。家内ともども健康チェックもして、太鼓判が押されたら、そうできることでしょう。

(杜甫を描いたものです。でも、これには髪の毛が見えますが頂きはどうでしょう)

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