灯火

 

 

このところ、南側のベランダの下から、馥郁と、金木犀の香りがしてきて、やっぱり秋がやってきたのだと思わされています。梅の香は、微か過ぎて、花に近寄らないと嗅ぐことができませんので、嗅ぎ損ねるのでしょうが、金木犀は、玄関を開け、この建物の外のドアーを開けて出ると、もう、そこは匂いが立ち込めています。

最高の季節の到来に、夏の暑さがすごかったせいで、有難味がより一層です。柿も、栗も、葡萄も、柚子も、蜜柑も、こんなに美味のかと、実りに満ち溢れている秋を満喫しているところです。人は嘘をつくことがありますが、自然界は正直で、人を裏切ったりはしません。ほぼ暦の通り、この土地の人の言い伝えの様に、季節が巡ってまいります。

上高地は、今頃、秋色が濃くりつつあって綺麗でしょうね。知人が、雲南省に別荘を買ったそうで、一年中同じ様な気候だそうで、避暑も避寒も最適だそうです。富裕層が、買い求めているので、『ご利用ください!』と言われても交通費だって高額だし、私たちの生活水水準からは、ちょっと無理かなあ、と思うのです。

それでも、建国以前の欧米人が夏季に使っていた避暑地が、この町の北にあります。真夏、夕刻には蜩(ひぐらし)の鳴き声がし、夜間は肌寒ささえ感じるのです。今頃行ったら、厚手の布団が必要になっていて、寒がりの私には、秋冬の夜具を持参しないと無理の様です。ベニヤ板にシーツだけの床は、過保護に育った私には無理です。

ここに来たばかりの頃、冬の夜間は、日中着ていた服を着たまま、床に着くのだと、寮生活をしている学生たちから聞いて驚きました。『はーい、寝間着に着替えて!』 と、母に言われて生活してきた私には、駄目です。やっぱり、よく沸かしたお風呂に入って、鼻唄でも歌って、のんびり入浴して、綺麗さっぱりしてから出ないと駄目なのです。

こんな無理無理、駄目駄目づくしの私ですが、大丈夫なことも、少しはあります。寝たら、寒くない限り、すぐに寝着いてしまうのです。ユダヤの格言に、「まっすぐに歩む人は、自分の寝床で休むことができる。」とあります。それでも、コーヒーを、余り飲まなくなった私は、急に飲みたくなって飲んだ夜は、なかなか寝付かれないことが、最近あるのです。運動不足もありそうですね。秋の夜長、今度の帰国には、生まれ故郷の温泉に入れることを期待し、「灯火(とうか)親しむ候」で、読書でもすることにしましょう。

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