テニス界の雄

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『相手がひるんだ隙こそが、攻撃の好機だ!』と言うのが、競争や競技の鉄則です。どのスポーツでも、とくに個人戦の競技では,相手の体制を崩すのは、勝機をつかむ絶好の時なのです。柔道でもレスリングでも、バトミントンでも卓球でも、同じです。勇猛果敢に、攻撃をしかけて、返し技ができないほど、やりこむことは卑怯なことではありません。 ウイキペディアに、次のような記事が載っています。

『「やわらかなボール」が放たれたのは、1919年ウィンブルドン選手権のオールカマーズ決勝(現在の準決勝)である。対戦相手のチルデンが足を滑らせて転倒、その時にゆっくりとしたボールを返したという。チルデンが体勢を立て直し、返球がエースに。「ヘイユー!ルック!!」とチルデンがラケットで指した所、観客がスタンディング・オベーショを、清水に向かって拍手をしていた。結果としてチルデンが勝ち、二人が会場を後にしたものの、その後しばらく拍手が続いたという。』

ここに出て来ます「清水」とは、清水善造のことで、日本テニス界の黎明期に、国際舞台で活躍した選手です。当時の世界順位で、第三位に上げられるほどの名選手でした。ウインブルゾンでの善造のプレーは、観衆から賞賛を受けた、素晴らしいものだったのです。プロ選手としてはともかく、人間としては高く評価されるべきことだったわけです。相手が、体勢を立て直して、球を打ち返すことができるように、攻撃の手を緩めたわけですから。

戦国の武将は、『やあやあ、我こそは・・・』と名乗りを上げて、武人としての闘争心を高揚し合い、面と面と向かって、渡り合ったような<潔(いさぎよ)さ>それと同じような意気ウインブルゾンの観衆が、感じたのでしょう。また善造は、いつもニコニコしていて、<スマイリー・シミー>と、親しく呼ばれた人気選手だったのです。

フェアープレイが、なかなか見られなくなっているスポーツ界ですが、<紳士のスポーツ>と言われる<テニス>を、日本男子が、イギリス人に負けないような<紳士>として競技したことは、私たちが誇ってよい特質ではないでしょうか。 後年、彼は、洗礼を受けたキリスト者として、敬虔に生きたと記されてあります。ヨーロッパ人に比べて、体の大きくない選手でしたが、貧しさゆえに早朝のアルバイトの草刈りと、長距離の登下校で鍛えた、強靭な足腰を持っていたそうです。群馬は高崎の人でした。

(写真は、”WM”による、コート上ネット際の清水善造氏です)

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