タンポポや淡墨桜が咲いて

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 昨日は、近くの下野市に残されてある、県下の古代の史跡を訪ねました。親しくお交わりをさせていただいています、隣人夫妻のお誘いを受けて、春日和の一日、春の遠足を楽しむことができたのです。

 ご主人の車の安全運転で、下野国分寺跡に咲く淡墨桜、国分尼寺跡(礎石)、その尼寺に咲く淡墨桜(うすずみざくら)、下野薬師寺跡の礎石、室の八島、室の八島を訪ねた松尾芭蕉の俳句碑、下野国庁跡を訪ねたのです。

 出発前に、細かな、タイムテーブル(計画表)お作りくださって、送信してくださったのです。それにそっての訪問でした。行き当たりばったりで、行こうと思っていたのに、見逃してしまう様な私とは違って、用意周到な準備をなさっての一日でした。

 小学生に戻った様な思いで、この遠足を楽しむことができたのです。このご夫妻は、二週間ほど前に、奈良を訪ねておいでで、奥さまの弁ですと、今回と同じ様に、寺社訪問の綿密なスケジュールを作られてのご旅行だった様です。

 わが家のベランダから、ご夫妻の住まれるお宅を眺めることができ、互いに心配し合う様な間柄なのです。洗濯物が干されていないと、具合でも悪いかと心配してくださり、こちらからも、見守りを4階からすることができて、友人関係にあります。そんな出会いを楽しみながらの、こちらでの生活の一面です。

 四人のお子さまがた、お孫さんたちをお持ちで、そのお名前まで知らせてくれます。私たちに次女の家族が来ましと、訪問したりしているのです。タンポポも、辛夷の花も、そして桜の花も綺麗でした。万葉の世にも、同じ様に大地は綺麗な花を咲かせていたのかと思って、時の流れを感じさせられました。

 遥か大和国、奈良から派遣されたお役人や僧侶や職人集団がやって来て、中国に倣って地方行政を行い、仏教の教えを説き、修行をし、また職人集団が寺社や庁舎を建て、日本の形が、徐々に整えられていったのを思い返すと、時の流れを感じてしまいました。

 聖書に、

『主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。(申命記28章64節)』

とあります。中近東の地から、ユーラシア大陸の東に位置し、島々によってなる、約1万4125の島々の国、日本に、人が住み始めて、大陸から文字によって歴史が記される様になって伝えられた、私たちの国の歴史の初期の営みに触れた様に感じた、昨日の一日でした。

 紀元700年の頃のヨーロッパ、とくにギリシャでは、都市国家が出来上がり、植民主義で国の拡大が図られていた、同じ時代だと、世界史は伝えます。極東( far east )に位置する朝鮮半島や島国の私たちの地にも、国家が起こり、大和朝廷の中央集権で、地方支配が整えられて行く時期の史跡なのでしょう。

 1300年ほど前に、思川の右岸、現在の下野市に、国分寺や国分尼寺や薬師寺建てられ、そして下野国の国府の国庁が、思川に左岸に、現在の栃木市に置かれたのです。当時と同じ春の花、史跡の隅のタンポポや辛夷の花が咲いていたのが印象的でした。

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