[街]清里

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 信州と甲州の境に「八ヶ岳」があって、その南麓に、「清里」という高原があります。70年代から90年代にかけて、若い女性誌の “ an-an “ や “ non-no ” に特集されて、脚光を浴び、とくに若い女性で大変賑わっていたのです。JR小海線の清里駅の周辺には、芸能人の店などが出店して、春や夏や秋、冬でさえも、大変な賑わいを見せていました。

 それは “ boom ” でした。まるで『高原の原宿だ!』と称されるほどだったのです。その80年代、バブル期の社会現象でした。この周辺の公的施設で、牧師会や教会学校の夏季キャンプ、ハイキングなどを、よくしたのです。

 ここに「清泉寮」を中心に、農場、研修所、宿泊施設などがあります。「キープ協会(Kiyosato Educational(清里教育実験計画)の頭文字 )」が、1938年に開設されたのです。これに先立つ1934年には、東京の奥多摩に、小河内ダムが建設されるに当たって、そこの住民が、集団で移住して入植した地でもあったのです。

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 戦後の日本の酪農業を牽引し、この地に若者たちを集めて、研修が行われたのです。その清泉寮の近くにキープ教会の記念館があり、開設に力を注いだポール・ラッシュの過ごした家も残されていて、一般公開されています。そこには、農業開拓史の様子が分かる資料も残されているのです。冬季の生活は、ことのほか厳しかったようです。

 私を指導してくれた宣教師さんが、この清泉寮の売店で売られている soft cream が好きで、これを食べていた姿が懐かしく思い出されます。American taste だったのでしょうね、大好物で、一緒に訪ねるたびに、ダブルで食べていたこともありました。

 家内は、この近くの宿泊施設に、二人の上の子と、お腹の中の赤ちゃん(次女です)とで、ちょっと内々の事情ででしょうか、内緒で出掛けたことがあって、そこで泊まったのです。翌日は、気を治して帰って来て安心した日もありました。その子たちが、もう五十代前後になっているのですが、わが家の珍歴史の一ページであります。

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 その清里が、ゴースト・タウン化して、多くの年月が過ぎています。日本中で、一時期の繁栄を見せた街、温泉街、観光地が、以前の姿に戻っているのです。栄枯盛衰、きっと今住む、ここ日光例幣使街道の栃木宿、江戸を結ぶ舟運の河岸で栄えた商業の街も、われわれ世代の年配者の多く住む町になって、静かな佇まいを見せています。子どもたちの姿が見られないのが寂しいのですが、静かに住むには快適なのです。

 もうしばらく訪ねていない清里ですが、中国から帰国した時に、一度、懐かしくて,家内と一緒に清泉寮に一泊したことがありました。学校の冬休みでした。それにしても、あのソフトクリームは、実に美味しかったのです。もう一度、思い出しならら頬張ってみたいものです。

(ウイキペディアの清里の街風景、清泉寮、ソフトクリームです)

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