アナログ

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 父が、わが家に二冊の辞書を買って帰ってきました。一つは、「字源」と言う漢和辞典だったのです。もう一冊は、1955年(昭和30年)に、岩波書店が刊行した「広辞苑」の初版でした。小学生の私は、辞書なしで、父や母や兄を辞書にして学んでいたのですが、分厚い、小学生の私を威圧するほどの書物でした。

 それ以来、父に、字や言葉の意味などを聞くと、それに答えずに、『辞書を引け!』と言われました。それで辞書を引くって面白いものだと新発見したのです。言葉を新しく覚える助けになり、これらの辞書を引くのが楽しかったのです。

 家族のための家庭用辞書とでしたが、三男の私専用の様に使っていましたが、小さな家で、" ソシアルディスタンス " の近い六人家族でしたから、机なんかありませんでしたので、書庫から卓袱台に運ぶ時に、落としたりして、ずいぶん使い古したものになっていました。

 その二冊は、 国語学習の大きな助けで、あのまま勉強をし続けていたら、どうにかなったかも知れませんが、そうしなかった悔いが残っています。歳をとった今、華南の街にいた時に、帰国する方がおいて行った荷物に中に、小型国語辞書があって、それを持ち帰って、今の家の書庫にあります。でも、ネット利用で、埃をかぶってしまっています。

 今では、何でもネットで調べることができますので、便利ですが、小学生や中学生の時に使った辞書引きの面白さは、ネット利用では決して得られません。〈手作業の時代〉が懐かしいばかりです。家内は、優等生でしたが、問題児だった私の方が、漢字能力が少々上で、最近、葉書を認(したた)めていましーて、『忘れちゃった!』と言う家内に、漢字を教えているほどです。
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 この辞書と地図、そして時刻表は、自分にとって《三種の神器》だったのです。未知の漢字との出会いの喜び、未知の国や行ったことのない都市や観光地の名を見つける面白さ、その街には、どんな道順で行くか、〈ジョルダン(路線検索)〉のなかった時の楽しみは、けっこう子ども時代に華を添えていた様です。

 外出をしないでいる今、この辞書と地図と時刻表があったら、机上でも、畳の上で寝そべっていても、トイレに座っていても、それで有効時間に変えそうです。それにもう一つ付け加えるなら、「ラジオ」でしょうか。専門家の意見を聞けるので、門外漢の分野に興味が唆(そそ)られるのです。

 そこに、iPadやiPhoneの登場です。やおら〈google検索〉に移って、その方の著書を調べ、〈図書館横断検索〉をして、どこの図書館に蔵書があるかを調べるのです。歩いて10分ほどの市立図書館で借り出しを要請をします。数日経つと、県立図書館から届いた旨の電話連絡があるのです。自転車に跨って図書館行きです。

 それで行き付けの図書館に、先週末行きました。勝海舟の父・小吉が著した「夢酔独言」を、先週末に借りてきたのです。江戸末期の江戸在住の旗本の書物で、出来の悪い父親の自分と、出来の良い娘と息子(勝麟太郎/海舟)の自慢話や、十代の頃の諸国漫遊のハチャメチャな話が面白く記されています。閉じ籠りの今、アナログの世界の楽しみもけっこう好いものです。

(広重が描いた「名所江戸百景 千束の池(洗足池)」です)

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