華のお江戸の新宿に、今では信じられないでしょうけど、「どぶ板(下水道に木の板で蓋をしたところ)」がありました。ところが今、JR、地下鉄、京王、小田急、バス、タクシーで降りますと、 美しいビル(コンクリートの肌の見えない)が林立し、世界に誇る繁華街が目に飛び込んできます。裏道を歩いても、道路はきれいで、段差はなく、人は安心してそぞろ歩いています。小学生の時に、新宿の東口から歌舞伎町まで歩いて「コマ劇場」に、父が連れていってくれた道筋には、古い新宿の街の風景が残っていました。中学生の頃、高校のバスケット部の試合の応援に駆り出されては、帰りに、上級生やOBがご馳走してくれた食堂街のあった西口の線路際は、雑然としていました。学校に行っていたころは、映画を観たりコーヒーを飲んだり食事をするために、たびたび降りました。その頃の新宿の道路の脇には、「どぶ板」があって、ゴミが散乱し、西口と東をつなぐ線路下の地下道には乞食や孤児、東口の駅頭には傷痍軍人を見かけました。どこを通っても、小便臭かったのですが、汚さだけではなく、昔からの人の営みの面影の「下町情緒」が残されていました。
このように大きく変化していく様子を見ながら、日本経済のとてつもない進展ぶりを身近に感じたものでした。田舎に住んでいて、数カ月ぶりに新宿に降りますと、迷子になってしまうことが度々でした。何時でしたか、京王ルミネのビルの中の美味しい珈琲店に入ったことがありましたが、帰りに迷路のように入り組んだ通路の中で、道を失ってしまいました。西口を降りると駅前に、父の会社があって、向こうの方に淀橋浄水場があり、都電が、中央線の荻窪駅まで走っているのを眺めることができたのに、西口で迷子になって、田舎者になった自分を笑ってしまいました。たしかに懐かしいものが、1つ1つと消えていく新宿、いえ日本の街であります。
そんな街の変化が、今住んでいる中国の町の中にも見られるのです。初めて訪華した20年前の北京でさえも、信号がほとんどありませんでした。自転車がはるかに車の量をしのいでいたのです。タクシーに乗って、胡同の中を走って目的地に行きましたが、バス路線も少なかったのです。そこには、新宿にもあった「どぶ板」のような、古きよき時代の残滓があふれていました。何よりも、北京の下町人のにおいのする営みを肌に感じたのです。
ところで華南の町の、この5年の変化は、日本の20年~30年の変化を、一挙に遂げているのではないでしょうか。古い時代の複雑さ、怪しさ、危なさがあって、道路は段差がきつく、歩道もなく、バスを乗り継いでも、降りて歩きだしても、自転車や電動自転車が、ぶつかりそうに交わしていくのです。店の前は公共の場なのですが、我が物顔で私的に使われていました。ところが、急激な変化というのでしょうか、街の様相が激変しているのです。駅に行くためにバスに乗ると、どこをどう走っているのか曲がりくねって、皆目わからなかったのですが、今、主要道路は、ほとんでまっすぐな道路になり、上下線の中央分離帯ができ、路側帯があって歩行者保護がなされています。道路や街並みが、銀座通りのようになってしまっています。小さな商いをしていた人たちは、どこに消えてしまったのでしょうか。
そのように整備された道路を走る中国の運転手さんの技術は、一見して上手ですが、一触即発、常に事故の可能性を秘めています。急ブレーキと急ハンドルは、タクシーもバスは、とくにそうです。それで衝突しないで車を交わしているのは、見事ですが、上手とはいえません。規則が遵守され、運転レーンを守り、車間をとり、横入りをしないなら、ニューヨークでも、東京でも、パリでも、彼らは運転することができます。街が綺麗になったのですから、走っている車が、譲り合い、歩行者優先になってくればいいのにと思っております。そういえば、昔の日本の運転も、今の中国に勝るとも劣らないのではないかと思います。かく言う私も、自転車に一度ぶつけ、もう一度は車にぶつけた過去を持っております。ひやひやは数限りなくあります。やはり、こちらでの運転は遠慮したいと決心していますが、こちらの運転の見事さに感心し、けっこう楽しく眺めているのです。
「どぶ板」は、庶民の生活環境を象徴するような物といえるでしょうか。どこにでもあったのですが、近代化とともに不要になった物たちの総称です。中国の街角から、今、消えつつある物たちのこと、伝統的な生活様式のことでもあります。四川省の成都で、あちこち案内してくださった方が、『この街の伝統的な街並みが消えてしまうのは寂しいことです!』と嘆いていたのを思い出します。新しさと古さとは共存できないのでしょうか。先日、観光用に整備されてしまった古い町並みを歩いていましたら、「覗きカラクリ窓」を見かけました。声色を使って動物の鳴き声をしながら、カラクリを操作している路傍芸人がしていました。昔、育った街にもいたようなオジさんでした。これも消えつつある伝統芸能なのかも知れません。郷愁を誘うものが一つ一つ消えていってしまうのを残念に想う、十一月の終わりであります。
(写真上は、JR新宿駅東口、下は、江戸末期の横浜の街並みです)