上智大学で、「死生学(死の哲学)」を講じた、アルフォンス・デーケンさんが、「老いと死とユーモア」という題で講演されたことがありました。その中で、「基本的な楽観主義を身につける」と言うことで、次のように言っておられました。この方の講義を受けることができたのは感謝でした。
『もう一つ、Optimist(オプティミスト楽観主義者)とpessimist(ペシミスト/悲観主義者)では、同じ体験に対しても、全く見方が違います。ある人は物事をただネガティブにしか見ませんが、ある人はポジティブにそこから何かしら新 しい知恵を学び取ります。いま私はちょうどグラスの水を半分飲んでしまいましたけれど、この同じグラスを見ても、ペシミストは上の無い半分を見ますし、オ プティミストならまだ半分もあるというところを見ます。同じ対象を、ペシミストはいつも暗いメガネを通して見ていますが、オプティミストは、明るいいい面 を捉えます。ですから豊かな第三の人生を送る一つの大切なポイントは、基本的なオプティミズムを身につけることではないでしょうか。
生きがいに関して私の最も尊敬するドイツの哲学者、アルフレッド・デルプ神父は、反ナチ運動のリーダーの一人としてヒットラーの命令で逮捕され、37歳の若さでベルリンで処 刑されました。ベルリンの刑務所で殺される直前、彼は自分の生きがいについて、こんな美しい言葉を書きました。
「もし一人の人間によって、少しでも多くの 愛と平和、光と真実が世にもたらされたなら、その一生には意味があった のである」。
彼には5冊の著作があり、とても創造的な哲学者でした。彼は37歳で亡くなりましたけれど、人間はどれほど長く生きるかよりも、どれほど意義のある人生を送ったかのほうが、彼の評価の基準だったのです。
これは今日の私たちが、意義のある一日を送れたかどうかを考えるときに、一つの基準にできると思います。
私の努力によって少しでも愛と平和、光と真実が 世にもたらされたなら、今日は意義のある一日だったと言えるでしょう。でももし愛の代わりに夫婦喧嘩をしたり、平和の代わりに隣の人と争いを起こしたり、 光の代わりにペシミズムを広めたり、真実の代わりに誰かの悪口を言ったとしたなら、意義のある一日ではなかったということを反省すべきです。
そういう意味 でも、英語でlife review therapy ドイツ語でLebensbilanzと言いますが、自分の人生を定期的にちょっと振り返って、本当に意義のある生き方であるかどうか、見直してみることが 大切ですね。』
悲観的な出来事ばかりの昨今に、必要なことに違いありません。暗いニュースではなくて、最暗黒なニュースの溢れた、いわば世紀末のような時の只中で、迎える新しい日に希望を持って生きることができる、これは勧めではないでしょうか。
(”Loose Drawing “noフリーイラストです)
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