東京には、「後楽園」「花やしき」「豊島園」「東京ドームアトラクション(旧後楽園)」「よみうりランド」「東京サマーランド」などがあり、近県にも、「東京ディズニーリゾート」「西武園」「富士急ハイランド」など、たくさんの遊園地(今ではアミューズメンドパークというのでしょうか)があります。やはり圧巻なのは、浦安に1983年4月に開園した、「東京ディズニーランド」でしょうか。早起きをさせた子どもたちを乗せて、開園時間前に着いてしまったことがなんどもありました。高い入場券を払わなければならなくて、財布の底を叩いて払いましたが、子どもたちの喜びようを見て、『決して高くないな!』と思わされ、くり返し連れて行くことになってしまいました。
私は子どものころにも、子供たちが与えられてからも、地理的な位置関係からでしょうか、「豊島園」には、一度も遊びに行ったことはないのです。近くに同じような遊園地があったからかも知れません。西武線や東武東上線沿線に育った子どもたちにとっては、この遊園地は、思いっきり楽しませもらったようです。家人の家族は、西武線沿線に住んでいた関係上、ここに遊びに行ったことがあるのだそうです。上の兄が、弟と二人の妹を連れて、出かけたときの話の顛末を、家人が、時々話てくれます。優しいお兄さんだったようで、弟妹を一日楽しませようと、彼らを引き連れて「豊島園」で遊び、「かき氷」を食べさせようと思ったのです。注文をして、いざ支払おうとしましたら、お金が足りなくて払えなかったのです。それを払うと帰りの電車賃がなくなってしまう、おばさんには叱られる、『どうしよう?』、涙をいっぱいためて戸惑っていた義兄を、家人は覚えているのだそうです。新聞配達をしたり、自分で鶏を飼って、卵を近所に売り歩いては小遣いを稼いでいたのですから、きちんとした子どもだったのです。その日、電車賃、かき氷代、その4人分を用意して家を出たのにです。
ところが、遊園地のような場所は、「特別料金」が設定されていて、『えっ、ラーメンって、こんなに高かったっけ!』と驚いたことが、どなたにもあるのではないでしょうか。街場のかき氷代で計算したので、ぎりぎりのお金を握って飛び出した、小学校6年生に義兄には、そこまでの判断ができてなかったわけです。それで、すごく叱られた、これが理由でした。新聞や卵で稼いだお金を、お母さんは、困っている人に上げてしまったことも、家人がしてくれたことがあります。お父さんからもらったお金でではなく、自分の労働で得たお金である、その意味が分かったら、あのおばさんだって、『いいよ、安くしとくよ。さあ食べな!』と言ってくれたかも知れませんね。義兄にとっては、厳しい実社会の現実に直面させられた、貴重な体験だったのではないでしょうか。
一般的な日本の家庭が中流になるには、まだまだ年月が必要な時期、自分の手で得た報酬で、弟妹を楽しませようとは、素晴らしい「心意気」ではないでしょうか。その「心意気」と「辛い経験」を秘めて、横浜の港からブラジルのサントスに、『一旗揚げて、故郷に錦を飾ろう!』と勇んで、1950年代の末に出かけたのです。出来た義兄で、いつも級長をしていたのですから、大学にだって行きたかったようですが、両親には何一つ言うことなしの移民の決断だったようです。『そのかき氷はどうしたの?』と私が聞いたら、『食べなかった!』と家人が答えていました。そんな懐かしい思い出話が山のようにあるのだそうです。今しがた、ブラジルに家人が電話をしていました。義姉に『兄をありがとう!』『ご苦労様!』『お元気で!』『ゆっくりしてください!』と伝えるためにです。
(写真は、「としまえん」の入り口付近です)