この写真の中の文章は、小学6年生の鈴木一朗が、「僕の夢」という題で書いた作文です。『僕の夢は一流のプロ野球選手になることです!』と言って書き出しています。そのために何をしているのかといいますと、『・・・365日中、360日は厳しい練習をやっています!』と続けています。11歳の少年野球選手が、その夢の実現のために練習を重ね、プロ野球選手になります。さらにアメリカのプロ球界でも、その夢をつないで活躍し、今日に至っているわけです。
だれもが夢をみますが、夢が実現するよりも、はかなく消えてしまうことのほうが多いのです。私の長男は、イチローよりも一学年上で、同じように、プロ野球選手を夢見ていたのです。小学校から中学と野球を続けましたが、彼の夢は成就しませんでした。決して努力が足りなかったわけでも、好いコーチに巡り合えなかったのでもありません。生きていく道、天職として付与されたのは、夢とは違ったわけです。それは挫折とは違います。別の世界で精一杯に生きている彼を見て、私はその生き方に誇りを覚えるのです。有名になることも、財産を備蓄することもないようですが、人の生きる道を、一人の人として誠実に歩んでいることに、拍手と喝采で応援しております。
11歳の一朗が、今、38歳になりました。3歳から野球の練習を始めたといいますから、35年もの間、一つのことに集中して生きてきたことに、心からの敬意を表したいのです。どんなに素晴らしい記録を上げ、チームに貢献してきても、やはり肉体の衰えは、いかんともしがたいようです。人の全盛期、ことのほかスポーツの世界のそれは、短いものであります。40歳を過ぎても現役として活躍し続ける選手も、たまにはいますが、ほとんどは、三十代の後半は終盤でしょうか。
『イチロー、ヤンキースに移籍!』というニュースを聞いて、アメリカのプロ野球界の厳しさを、改めて知らされたわけです。それは実績主義、成果主義の世界であって、情の入りこむ余地のない社会だからです。下の写真は、移籍会見の時のイチローの表情を捉えたものです。「男の悲哀」があふれていますが、実に男らしい顔ではないでしょうか。一つのことに打ち込んできた男の顔です。いずれ、このような時を迎えるの覚悟していたのでしょうけど、シアトル・マリナーズが「不要」を表明した直後の彼の表情です。
戦後、芋をかじりながらほそぼそと育てられた団塊の世代の子が、イチローの世代です。敗戦で、夢が砕かれ、野望が砕かれた父や母たちが、団塊の子を生んで育てたのです。力道山がアメリカ人のプロレスラーを空手チョップで打ち破る様子を、出始めたテレビで、大声で声援して観ながら育ちました。古橋が水泳の日米競技会で活躍し、白井義男がプロボクシングで世界チャンピオンになり、日本車がアメリカ国内を疾走するようになる時代に大きくなったのです。『ベーブ・ルースやゲーリックが活躍する米球界で、まさか日本人が活躍することなどない!』と決めつけていた私の思いに反して、イチローは、さして大きくない体で、12年も活躍し続けてきているわけです。私に、力道山や白井義男を彷彿とさせてくれたのが、イチローでした。息子の叶えられなかった夢を、実現してくれたのもイチローなのです。
今、シーズンの後半、ヤンキースの8番打者、左翼手として再スタートを始めました。彼の律儀な生き方、野球愛が、いいえ11歳の夢が継続され、ボロボロになるまで励まれるように、『ありがとう!』と言いながら、心から応援したい、そう願っております。