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『真実と事実の違いってものが、心を鍛えるんだよ!』、これは人生訓の一つなのだそうです。渥美清のお弟子さんが、そう師匠から教えられたのだそうです。高校を出たてで、渥美清の身の回りの世話係になった芦川一氏が、5年間の弟子期間に学んだことの一つなのです。そう彼の著書「寅さんから学んだ大切なこと」に書かれてありました。
師匠に、時計の修理をたのまれて、都内の老舗のデパートに出掛けたのです。師匠が、松竹映画の会社から贈呈された、金の置き時計でした。新聞紙に包まれた物を、小脇に抱えて入店したのです。高級デパートの客にしては似つかわしくない様相の青年を見て、怪訝な顔をされたそうです。でもお客ですから、時計売り場に行きます。
店員さんに、『知人に頼まれて、時計の修理をお願いしたくて来ました。』と告げると、ここでも怪訝な顔をされます。新聞紙に包まれていたのが、高級置き時計であることが分かると、かえって怪しまれてしまいます。ここで、紛れもない「事実」と言うのは、カウンターに置かれている高級時計を持ってきた客がいることです。もちろん、店員さんの目には、客はふさわしからぬ身なりの若者だと言うことなのです。
店員さんは、奥にいる主任さんに、その接した客の「事実」を伝えたのです。引き返して来た店員さんは、『おそれ入りますが、知人とはどなたでしょうか、お名前をお聞きできますでしょうか!』と聞いてきたので、『渥美清です。』と答えたのです。これが「真実」でした。
真実を認めた、時計売り場は、いっぺんに、この青年の待遇を変えたのだそうです。外側の風体が怪しく見えても、真実を知った老舗のデパートは、態度を変えたわけです。そう、人は外側ばかりをみて,値踏みしたり、判断してしまいます。
ある県警だか府警のお巡りさんは、日柄全国指名手配の犯罪者の顔写真を眺めるのだそうです。それを自分の内に刷り込むようにして時を過ごします。まあ睨めっこをするのでしょうか。それを《見渡り捜査》と言う捜査方法の一つなのだそうです。挙動不審者の中に、直感で、犯罪者を見つけるのだようです。
若い頃のことです。アルバイトを終えて、牛乳工場から自転車で家に帰る時に、警邏中の警察官に呼び止められました。その日の仕事を終えて、まだ夜明け前の3時頃でした。仕事疲れを覚えていましたし、若者らしく見えなかったのでしょうか、時間帯も早朝で、確か無灯の自転車に乗っていたからです。
『どこへ行きますか?』と聞かれたので、『◯◯乳業の工場でアルバイトを終えて、家に帰るところです。』と、「事実」を伝えたのです。すると『そうですか、気をつけてお帰りください!』と、ニコリとして返事してくれました。自転車の無灯については何も言わなかったのです。怪しさを感じたのは当然だったわけです。挙動不審だったら、連行されたことでしょう。でも不審者でない、私の「真実」を認めてもらえたので、私は帰宅することができました。
『すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」(新改訳聖書 黙示録21章5節)』
時計売り場の主任さんが、芦川青年を信用できたのは、《渥美清の付き人》と言う「真実」があったからでした。芦川青年の「真実」が明らかになった2分後に、奥の応接室に連れて行かれ、ケーキと紅茶での接待を受けたのです。《寅さんの付き人》の真実の手形は、そんなにケーキに預かれるほどのことなのです。修理を終えた時計は、新聞紙ではなく、上質な布で保護されて、返されたそうです。そう今宵は、人の真実よりも、神さまの「真実」に思いを向けたいものです。
(”ウイキペディア“の京成・柴又駅前の虎さんの像、春の真実です)
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