古代の中国の「四大発明」は、羅針盤、火薬、紙、印刷だと言われます。この中で、紙と印刷に関わって、忘れられないのが、「漢字」です。私たちの国には、文字がありませんでしたので、口承で意思を伝えていましたから、何が起こったか、どんなことを考えていたかの伝達や記録を残せませんでした。ところが大陸との交流の中で4世紀後半に、朝鮮半島の百済(古代の韓半島西部にあった国)から日本に、論語や千字文を記す「漢字」が伝えられてきたのは画期的なことでした。
この漢字伝来の担い手が、王仁(わに)でした。この人が、儒教の教えなどの学問を伝えてくれ、その教えが漢字で記してあって、文字がもたらされたのです。王仁は、十五代の応神天皇の招待によって、日本に来た時に中華思想をもたらしました。私が、若い頃に出会った研究者は、この「千字文」の研究をされた方でした。
お隣りに、高校で国語を教えておいでの先生が住んでいて、交流があります。わが家に食事にお招きした時に、国語教育の話題があって、「義」と言う文字の成り立ちについて、門外漢の私が、お話したのです。これは「羊」を頭に戴いた「我」の合字であり、人が義とされるのは、「我(私)」が、頭に羊を戴く時、神の前に「義」とされると言うのです、と。少なくとも、漢代に、漢字が作られ、編集された折には、漢民族はこの意味を知っていたと言うことになります。
また、「北」と言う文字は、次のように国語学者が、図表で解説しています。
この「北」の文字は、人と人とが、背中合わせでいる様を描いていると言うのです。意見や思想や生き方の違う二人の人が、相反して、離れていくことなのでしょうか。そして人は、失恋や喧嘩別れなどによって、相手と別れて、北に逃れて行くのでしょうか。作家の五味康祐が、次のように言っています。「逃げる」を、「北げる」と表記しているのです。『通常、人は南から北に逃げるのだ!』そうで、だから「北げる」で好いのだそうです。
また、「背く」と言う意味も、この「北」を含めての合字になっています。顔の向く方向が、正面ですから、背は、敵となって背く側、逃げて行く方向になります。そう言った行為を、「背信」と言います。「乖離(かいり)」と言う言葉がありますが、この「乖」も、「北」が文字を形成していているのです。小説や映画は、南にではなく、北の北海道を逃亡先に、よく選ぶようです。
渡り鳥に、「北帰行」をする鳥が何種類かいます。白鳥は、暖かくなると、北の故郷に帰っていく習性があり、食糧を求めたり、次の世代を産むために、想像を絶するほどの距離を行き来をするのです。その道を誤ることなく、ほとんど同じ飛行経路を繰り返してたどるのです。次の世代も、その次の世代も同じようなサイクルで生きるのです。
わが家の脇を流れる巴波川に、かつての舟運で係留した「河岸(かし)」の跡が残されていて、荷を運んだと同じ「都賀舟」が、遊覧船として観光客を乗せるのです。最近は、とみに観光客が増えてきていて、週末は、とてものにぎわいです。この時期、観光客の投げ与える餌を求めて、鴨が賑やかなのです。彼らも渡り鳥で、たまに留鳥がいますが、北帰行の時期には、川面にいなくなってしまうと寂しいのですが、また戻ってくるのが楽しみになっています。
文字が渡来する以前から、この鴨たちも、幾く世代にもわたって、故郷とこことを行き来していたわけです。その習性を、創造者が与えたのは、自然界の神秘でもあります。危険を伴う渡りをする彼らは、あんな小さな体で、よくするなあと思うのです。私にも帰っていく故郷があります。生まれ故郷ではなく、古来、そこへの帰還の約束に励まされて、創造者なる神さまを信じ続けてきた人が多くいて、そう願ったのです。聖書に、次のように記されてあります。
『これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(新改訳聖書 ヘブル11章13~16節)』
私たちの死は、人生の旅を終えて、この故郷への帰還だと信じています。どこか暗く不安な世界を彷徨うのではなく、本物の「故郷」に帰ることなのでしょう。独身の頃から、何かあると週日や、夏期や冬期の休みに訪ねてきて、色々と出来事を話してくれ、感謝な交わりをしてくれた兄弟がいました。桃やさくらんぼを栽培している実家から、時季の果物をよく持参してくれた方でした。昨秋も美味しい桃を送ってくれたのですが、一週間ほど前に、召されたと知らされたです。この約束の故郷にお帰りになったに違いありません。あの時々の素敵な交わりに感謝している夕べです。
(“ウイキペディア”による牛骨に記された漢字の原型、巴波川のカモです)
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