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『真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。(使徒16章25~33節)』
中学生の時に、「足摺岬(田宮虎彦著)」を読みました。主人公は、死場所を求めて旅に出るのです。肺病に罹った大学生が主人公でした。世をはかなむのでしょうか。失恋でしょうか、自己嫌悪でしょうか。絶望するのでしょう。死が問題解決をもたらせたり、苦悩から解放してくれると錯覚するからなのでしょうか、ある人は死を選ぶのです。
若い人が死に急ぐ、重大な社会問題があります。特に、日本の場合は深刻なのです。自分には自殺願望はなかったのですが、時折聞く、自殺のニュースで、無関心ではいられなかったのを思い出します。小学校の遠足で訪ねた日光、その華厳の滝から、これも旧制一高(東大)の学生の藤村操が、「巌頭之感(がんとうのかん)」と言う遺書を残して、1903年、投身自殺をしたのです。16歳でした。
『悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの晢學竟に何等のオーソリチイーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。我この恨をいだいて懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巖頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀に一致するを。』
この人の死後の4年間に、185名の人が、巌頭に立って、華厳の滝に身を投げて自殺を図っています。自殺が美化されて、後追いのようにして真似て死んでいくのも、日本的な特徴かも知れません。
あの田宮虎彦は、1988年、76歳の時に、脳梗塞で倒れて、右半身不随になってしまうのです。大学生の頃に、死場所を求めて、土佐は足摺岬にまで行きました。土佐は、両親の出身地でしたから、特別な意味を持っていた地だったのでしょう。でも自殺を思い止まったのです。お遍路さんや薬の行商人たちの泊まる宿で、諭されて、自殺を思いとどまり、学校に戻ったのです。
16歳の青年ではなく、七十路で老成すべき、超越すべき、全てを身に受けて生き続けるべき年齢になって、田宮虎彦は自死を選んだのです。死の問題を解決していないなら、どんなに社会的な名声を得て、大成しても、その一生に意味がなくなってしまうのではないでしょうか。
『死んではいけない!』、これは、聖書が一貫して語っていることです。いのちの付与者にとって、それは耐えられないことなのです。苦悩しながら、煩悶しながら、懊悩しながら人は生きるのです。その中で、創造者、いのちの付与者、救い主、助け主に出会って、生きる意味を発見していけるのです。
また聖書は、私たちを、「旅人」、「寄留者(ヘブル11章13節)」と呼んでいます。この旅には到達点があることも記します。
『これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(ヘブル11章13~16節)』
主の御名を高く上げながら、主に栄光を帰しながら、輝いて生き抜こうと願っています。生き抜いて、天(あめ)なる永遠の都に凱旋する日までです。人は、生きなければならないのです。
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