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『私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル4章15~16節)』
出会いと別れは、一対の人生の出来事でして、人の一生も、出会いと別れを繰り返す drama のようです。あのこともこのことも、まるで「一場の夢」の舞台なのかも知れません。会うと別れの予感がするのも、人の世の常なのです。振り返ってみますと、人生って、実に短いものだとつくづく思うこの頃です。
中国語に、「邯鄲之夢(かんたんのゆめ)」と言う言葉があります。同じ様な意味で、「一炊の夢」とか「盧生の夢」とも言います。この「邯鄲」は地名で、私の教えた学生さんの中に、この街の出身の方がいました。故事辞典に、次の様にあります。
「唐の時代、廬生(ろせい)という人が邯鄲(かんたん)の土地で呂翁(りょおう)という老人から不思議な枕をかりて茶店でひと眠りした。すると、自分がたくさんのお金と高い地位を得て、一生を終える夢を見た。夢から覚めると、自分がねる前に茶店の人が煮ていたものが、まだできていないほど短い時間の夢だったということを知る。廬生(ろせい)は、このことから人生のはかなさをさとったことから、この語ができた。(枕中記)」
この一生の短さが、歳を重ねるほどに現実味を増してくるわけです。戦国の世を駆け上がって「天下人」となった秀吉が、『露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢』と、越し方を思い返して、「儚さ」を歌に詠んでいますが、秀吉の六十年余りの一生も、避けられない「死」を迎えて終えています。どんな成功者も、また名のない人も、同じように終わりを迎えるわけです。
『また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。(黙示録20章12節)』
人は死ぬだけで、一生涯を終えるのではなく、〈どう生きたか〉が問われる日が、誰にでも来る、と聖書は言っています。いのちの付与者は、「いのちの書」や他の記録文書をお持ちで、そこに人の一生が克明に記録されているのです。それが、厳正な審判者の前で、紐解かれ、記録されたことに従って、「裁き」がなされるのです。人生の出来事は、朧げになったり、あやふやにされて、忘れ去られることはないのです。
どなたにも、隠して秘密にしてある過去の行状や思いがおありでしょうか。その日、それが露わにされ、露見されるのです。それこそ、私が一番恐れたことでした。赤恥だらけの日々でしたので、それが露見されるのを恐れたのです。そんな私が、落胆し、自己嫌悪に陥らないですむのは、次の様な聖書のみことばがあるからなのです。
『私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。 (1ヨハネ2章1節)』
請われて一度、長く過ごした街の地裁の法廷に出たことがありました。東南アジアにある国から、出稼ぎで来られて、交通違反と不法滞在で検挙された方のためでした。法定弁護人がいました。審判の結果は、強制送還で結審したのです。
ところで、この私には、「大祭司」でいらっしゃる、イエス・キリストが、〈裁きの座〉で弁護してくださると言うのです。キリストを信じた者は、「キリストの座の裁き(2コリント5章10節)」に立つようです。恩師の宣教師さんは、それは「報酬の座」だと教えてくださいました。そこで、様々に誘惑を通られたイエスさまは、贖った者のために、憐れみによって、弁護してくださると確約しておいでです。
これこそ救いの一部なのでしょうか。滅びても当然な者なのに、一方的なご好意によって、この救いに選び、永遠の命をくださったのです。ただ感謝し、ただ喜ぶだけであります。
( ”キリスト教クリップアート“ のイラストです)
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