地球

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帰国中、今回は、日本橋の三層の首都高速道路を、窓から間近に見られる、友人の社屋の5階にある、"ゲストルーム"に滞在させてもらっています。首都高の結構高い壁(走行の車のタイヤやエンジン音を遮断するものです)の上方に、通行中の大型のトラックやバスの上部を見る事できます。

日中に比べ、夜間と早朝は、貨物輸送のトラックが、引っ切りなしに通過して行きます。帝都・大東京の物流、物凄い量なのだと分かります。"玄関から玄関へ"の至便性から、トラック輸送の数量が、どこの国でも一番多いのでしょう。でも、燃料資源の埋蔵量には限界がありますから、将来に向かって、どうなるのか、やはり心配になってしまいます。

帰国するので、私たちの街の国内空港、香港国際空港、成田国際空港と乗り継いで、航空機を利用したのですが、どの空港も離発着の航空機の数は、数え切れませんでした。3つの空港でも、そうなのですから、世界全体では、どれだけの数があるのか、その使用燃料を考えますと、天文学的な量になるのでしょう。地球が埋蔵している化石燃料は、あとどの位残されているのでしょうか。

実は、昨年末の自分の誕生日は、<運転免許証>の更新日でした。あいにく、国外におりましたので、更新猶予期間があって、管轄の運転免許センターに行って、今回の帰国時に更新する事ができます。今回、『どうしようか?』と考えた末、"限りある資源を大切に!"に呼応して、自分で自動車を所有して、運転するのをやめる事にしたのです。排ガスで地球を汚染しない事にもなります。

それに、私は、2006年に、中国での生活を始めましたので、12年の間、車の運転から、ほとんど遠ざかっています。この間、高知に行った時に、竜馬空港から明徳義塾高校に行く時に、レンタカーを運転しました。中国の大きな工場の構内で、知人の車を運転しました(無免許運転にはなりません)。そして、帰国時に、坂道を運転するのが怖い義妹に代わって運転したのです。12年の間、たったの、この3回でした。

若い頃の運転スキルに戻すには、ブランクが長すぎるのです。また、事故を起こした事や違反をした事を思い出して、<加害者>にならない様に思って、運転免許証の《自主返納》を決めたのです。グアム島で、アメリカの運転免許証を取り、次いで、日本の運転免許証を取ったのを思い出して、淋しくなりますが、最善の決定になるのだと思っているところです。

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婚礼

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私たちには、四人の子どもが与えられ、次男が二十歳になった時、その《子育て》が、『終わった!』と思いました。長男から数えて、《28年》の年月だったでしょうか。みなさんが、そうなのですが、初めての親業を始め、"クスグッタさ"を感じながら、自分の父親の事を思い出し、失敗も多かったのですが、結構真面目に、家内と二人、親をやって来たと思い返しています。

自分の欲しい物を買いたかった事もあったのですが、"我が儘"を引っ込めて、子ども優先で後回しのまま、先週末、次男の婚礼に出席しました。《男児佳人を得》、次男に最善の伴侶が与えられて、その二人を眺めた感情は、《平安 》でした。また、《責任の完了》を感じて、肩の荷がスルリと降りた様です。

次男は、八つ違いの兄の司式で、"Better half"と、互いへの責任を約束し合う事ができたのは、新しい一歩としては、最高だったに違いありません。社会的な責任をとって、素敵な家庭を作り上げ、訪ねてくる人たちが、日常のプレッシャーから癒されたり、新しい生き方を見出して救われたり、ホッとできる場所になったらと願いながら、式の間、会堂の席に座って、そんな事を願っていました。

『溢れる恵みが満ち満ちる様に!』と、次男が生まれた時に願った日の事を思い出しています。これから始まる二人に、47年の結婚歴の私たちと、時の後先はありますが、《好い家庭》と《好い関係》と《好い空間》、そして《溢れかえる恵み》を願う、新緑の四月朝です。

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昨日今日

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昨日から、二十代で出会った若い頃からの友人たちと、多くは夫妻で14人ほどが集まって好い時を過ごしています。この写真は、朝5時半に、泊まったホテルの5階の窓から、周辺を写したものです。曇りですので、ぼんやりしていますが、様々な緑が、昨日は陽を浴びて輝いていました。

九州、近畿圏、首都圏から互いにやって来た仲間と、近況を語り合っております。これから朝食をし、交わりの続きをし、昼過ぎに解散になるでしょうか。私たちは、8年ぶりの参加で、私たちの帰国に合わせての交流会です。かつては来日されていたアメリカ人企業家も、ここに加わっていましたが、彼らはすでに召されてしまっています。和やかな交わりが継続しているは、彼らのお陰でもあります。

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深山カタバミ

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この花は、先日も掲載させてもらった、「ヒトリシズカ」です。「静御前(しずかごぜん)」にあやかった命名だと、「里山を歩こう」に、解説されてありました(「帝釈峡」に咲いていた様です)こんなに清楚に、凛(りん)と、義経の前でしていたのでしょうか。京の白拍子で、義経の愛妾だった人です。

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これは、「ミヤマカタバミ」だそうです。「深山」に咲くから、そう命名すたのでしょう。野山を歩いて、見た花に、この様に命名した人たちは、すごい連想の能力を持っていたのですね。

都会の喧騒から離れて、山野を巡り歩いて、自然観察をする方が多くおいでなのですね。この魅力に取り憑かれたら、雨の日でも苦にならないにでしょう。このブログを書かれておられる方は、雨の日に出かけたそうです。若い時に、「蜘蛛博士」がいました。みんながそう呼ぶほど、蜘蛛収集が好きでした、写真屋さんで、素人の研究者でした。元気なら、今も、捕虫籠を腰に、出かけておいででしょうか。

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大人

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「大人」は、中国語の漢語では、"daren"と読みます。

1. 對德高或地位尊者的稱呼。 徳や地位の高い敬うべき人
2. 對父母或尊長的稱呼。 尊敬すべきすべき父母
3. 對權貴或官吏的稱呼。 お役人
4. 成年人。相對於小孩而言。 子供に対して成長した人
5. 巨人。 大きな人(たぶん人間的に大きい事でしょう)

そんな幾つもの意味があって、ここ中国では、古来、使われてきている様です。私も、『早く大人になりたいなあ!』と仕切りに思ったのは、映画を観に行った時でした。子どもの頃の映画館は、他に娯楽がなかったからでしょうか、いつも満員、映画全盛期でした。大人ばかりの中で、背中が邪魔でスクリーンの映画が観えなかったので、そう願っていたのです。タバコが吸えて、お酒が飲めるからではありませんでした。

この「大人」を形容詞化したことばに、「大人しい」があります。"語源辞典”によりますと、『成熟さや思慮分別が備わって、成人になった事。穏やかで、静かで、落ち着いた様を持つ事。さらに、素直さや従順さを持ち合わせてる事。』とあります。としますと、多くの大人は、決して<大人しくない>のが現実に違いありません。

ある中学生が、『大人の大人になりたい!』と言っていたそうです。人に会ったら、挨拶をする様に教えてくれたのに、言った本人の<大人>が実行しないのです。お役所や国会といった、<大人社会>が、嘘や誤魔化しや不正、最近流行っている「改竄(かいざん)」などで溢れているのを知ってしまったからです。

そういえば、私の父に、嘘をつかれたことや、約束不履行はありませんでした。母は、正直な人でしたから、人の悪口を言ったのを聞いた事がありません。でも一旦社会に出ましたら、嘘や非難や批判、相手への侮辱は日常的に行われていました。いわゆる、<汚い大人>だらけでした。私を人間として整えてくださった方たちは、《大人しい大人》でした。

まず私が、<小人国>の中で、《大人らしい人》になるのが先決なのでしょう。"精神的ガリバー"が、昔は、多くいたのではないでしょうか。彼らの生き方に倣って、そうなりたいと、この中学生の声を忠告に、耳を傾ける事にしましょう。

香港

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1時間ほどの延着で、香港空港にいます。"transit"で、午後3時20分発の成田便に搭乗するために、待機中です。いつもと違う"ランチ"を食べたところです。そう、12年前の8月に、香港に家内と一緒にやって来て、一週間過ごして、寝台列車で、北京に着き、語学学校のある天津に向かったのです。この12年の始まりでした。

最初の香港訪問は、北京、呼和浩特(フフホト)、上海、広州を訪問した後に、帰国するために、広州から出て来て、1日過ごしたのです。知人が市内を案内してくださって、大陸の街との違いを感じたのが昨日の様です。その後、再び、ここを訪れ、ビルの林立する香港の街中で過ごすのかと思っていましたら、緑が青々とした林の中に連れて行っていただき、全く違う香港を、快適に過ごしたのです。

ここから北京行きの、寝台夜行で、26時間ほどで、翌日の夕方に着き、迎えのバスで、天津に着いたのでした。一緒に行ったブラジル人の婦人が、アメリカから来た親戚の青年と、同じ列車の中で、偶然に会って、驚いたのを思い出します。

12年前と違って、空港が移転してしまっている様で、周りを見回しますと郊外の感じです。明後日、次男の婚礼があります。好い時である様に願って、そろそろ搭乗手続きをしようと思っています。

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独り静か

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この花の名は、「ヒトリシズカ」と言うそうです。今朝配信して頂いた、「里山を歩こう(広島県庄原市東城町・帝釈峡にて) 」にアップされていたものです。どなたが命名されたのでしょうか。じっと見つめていたら、そんな雰囲気を感じて、それが 「名」になったのでしょう。

父が、生まれたばかりの私を見て、「準」と名付けてくれた時も、何かの雰囲気を感じたのか、インスピレーションがあって、『こんな人であって欲しい!』と期待を込めて、呼んでくれた事でしょう。

若い頃に奥多摩の山歩きを、時々しました。南信州の高遠出身の上司が、よく誘ってくれたのです。この方も、木や草や花の名をよく知っておられました。季節季節の植物があって、あの山道の自然の匂いが懐かしく思い出されてきます。今ごろは、いいでしょうね。雨の中を歩かれたそうです。

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ゴミ

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私たちの子どもの頃は、三角ベースで、しかもゴムボール(軟式テニスボールの様で品質の悪い硬いゴム製でした)を手打ちでする野球に興じていました。しかし、正式の野球は、本塁から、一塁方面から右翼ポールまで、三塁方面から左翼ポールまで、一直線に伸びた石灰で引いた白色のライン内で、試合が行われます。そのラインの内側に、打ったボールが落ちればヒット、外だとファールになるのです。

今日、大谷翔平についての記事を、ネットの中で読みました。四球を選んだ大谷選手が、一塁に向かいますと、そのファールラインの内側に「ゴミ」が落ちていたのだそうです。そのゴミを、彼が見付けて、拾って、ラインの外に放ったのです。そのままでも、試合進行に支障はないのに、見つけた責任上、そうしたのでしょうか。

"キリキリ"した緊張の時に、そんな心の「ゆとり」が感じられる行為を、てらわずにしたのに驚かされてしまいます。『放っておけ!』で好いのに、放っておけなかったのでしょう。大観衆の目が、その一挙手一投足に注目を浴びる"スター選手"なのに、その観衆の視線を気にしない振る舞いを、自然にできるのには驚かされるわけです。

自慢話にならない様に願っていますが、7年間、こちらの学校で、「日本語」を教えたのですが、私も心掛けた事がありました。中国の学校の教室は、綺麗ではないのです。各教室の棟に、家族や夫婦で住んでいるのか、出勤してくるのか、管理人がいるのですが、手が行き届かないでいるのです。

前日の最終講義の後、机で食べた食事だか、おやつの残飯やゴミや空ボトルが、引き出しや床に、そのままなのです。どうも自分で始末ができない学生が多いのです。また、掃除人がいるんだから、捨てなくても好いのだ、とも考えている様です。私のクラスは、ほとんどが第一時限目で、そんな教室に、30分前に入ると、そのままにできなくて、ゴミ掃除をしてしまったのです。

机も拭いたでしょうか。気持ち好く教えたいし、みんなが気持ち好く学べる様に願ったからです。授業が終わると、板書した黒板を拭き、ゴミが落ちていたら拾い、机の中に忘れ物がないかを点検して、ドアーを締めて終えたのです。そんな年月を、中国の最高学府で過ごすことができたのです。それって、私には苦にならないのです。父親が几帳面でしたから、その感化かも知れませんし、仕事をしながら、大きなスーパーマーケットの清掃を請け負って、長くサイドビジネスをしていましたから、掃除は、お手のものでした。

23歳の卓越した、一人の人としての大谷選手の仕草に、驚かされます。肝っ玉が据わっているのでしょうか、大谷選手には、とても好感を持ってしまいました。これからの野球人生には、スランプ、低迷、迷いの時がある事が予測されます。しのぎを削るプロの競争の世界で、彼の魂が、さらに強靭にされ、技量が磨かれ、ごく自然体で、自分に「定められた時」を、精進しながら活躍して欲しいと願う開幕当初の4月です。

(大谷選手も高校時代に戦った「甲子園球場」です)

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耳をつんざくほどの雷鳴が、大陸の大空で響き渡っています。まるで大空を「鼓」の様にして、メタ・セコイアの巨木を打棒で、叩いている様な、凄まじい大音響です。それは人類の怒りの棒かもしれません。いいえ、造物主が人類を警告しているかの様でもあります。

この数日、ものすごい音響で、天だけではなく、私の五臓六腑に鳴り響いています。「春雷」、 「雷雲」も「雷鳴」も「雷光」も「雷雨」も、夏の到来を告げているのかも知れません。『雷がなったら、ヘソ隠せ!』と言われて、布団の中に頭を隠して、耳を塞ぐ様な事はしまでした。

この日本人が二番目に恐ろしがっている「雷」が大好きな私は、雷鳴が聞こえてくると、背筋がまっすぐになってしまいます。そして外に走り出て、その豪雨に当たりたい衝動に駆られてしまうのです。夕方5時前、先ほどから雨が降ったかと思っていたら、突然の雷鳴でした。今は遠くの方で鳴っています。朝な夕なの「雷」なのです。

私たちが子育てをした街も、気流のせいでしょうか、結構「雷」が多かったのです。こちらの「雷」と比べたら、赤子の様です。こちらは、筋骨粒々の親父がいきり立っている様な「雷」なのです。子どもの頃に、ラジオで聞いた、

『♭雷さんは粋なもんだ・・・・・・・・♯』

あの頃には、意味の分らなかった文句が、口をついて出てきてしまいます。世の中が、遠慮がちになってきて、みんなが縮こまっていて、小声になってきている日本の社会とは違って、ここ中国では、赤ちゃんまでが、裂けるのではないかと心配な大きく開いた口、その口に火がついた様に泣くのです。幼稚園児だって、もう一つ向こうのバス停で話す声が、こちらのバス停でも聞こえる様な大声なのです。

雷鳴に ガバと起き出す 昼寝かな

春雷に 夏が来たよと 妻に告げ

だから「雷」も負けずに、大音響なのでしょう。大陸が広いので、そうでもしないと存在感を表せないのでしょうか。スッキリ、サッパリすることが少なくなってきた今日日、この「雷鳴」は、私を爽快にしてくれます。ものすごい勢いの「雷雨」も、ありとあらゆる汚れを打ち叩いて流してしまうのです。「雷」が通り過ぎた後は、どこもかしこも綺麗サッパリなのです。

『雷さんよ、次は、いつ来るんだい?』と、もう首を長くしている私です。

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