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詩人の茨木のりこさんの「わたしが一番きれいだった時」は、多くの教科書に取り上げられた、とても有名な一編の「詩」です。

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いたtg
フランスのルオー爺さんのように ね

悲しく辛い戦争体験を、詩を詠んで回想されています。私も、こちらの大学の「作文」の授業で、この詩を読んでもらいました。そして、学生のみなさんに感想を書いてもらったのです。特に詩に最後にある、「ね」が、どんな意味を持っているのかを書いてもらおうとしました。3年生で、二年半ほど、日本語を学んだだけのみなさんには、ちょっと難しかったのですが、意味をしっかり捉えた学生さんもいました。

「美しくあるべき青春」、「清くあるべき青春」、「夢多き青春」を、戦争で傷つけられ、奪われたのは、随分と悔しかったことでしょう。戦争体験と、19歳で迎えた敗戦、戦後の厳しい時代を生きた体験を、茨木典子さんを始め、多くのみなさんがされ、そこから、この日本は立ち上がったわけです。

画家のルオーが、お爺さんになって、「凄く美しい絵」を描いたように、過去の辛い経験があっても、人は美しさを求め、表現して生きられるのだと、茨木のりこさんは訴えたのでしょう。「美しく逞しく」、年配者だって生きていけるんですね。私の愛読書に、「しらがは光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。」とあります。八月が行こうとしています。

(ルオー晩年の作品で「たそがれ」です)

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