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戦争末期に、学童疎開を体験をした、藤子不二雄(二人の漫画家の共同の名前)が、自分の体験と、これも同じく、疎開をしたことのある小説家の柏原兵三が書いた「長い道」をもとに、漫画を描きました。東京が空襲されると言うので、富山県の海辺の街に学童疎開をした、その体験談の漫画化でした。昭和十九年(1944年)の北陸富山の海辺の村を舞台にした物語です。
それをもとに、映画化が行われ、「少年時代」が制作され、1990年8月に封切りされました。地元の少年たちと、東京モンの主人公の物語です。国民学校(小学校を戦時下には、そう呼んでいました)5年の男組に、疎開(正式には叔父の家なので縁故疎開です)して来た進二が、級長でクラスの番長の武との友情と、それとは逆にいじめもあったり、クラスの権力闘争など、あの時代にありそうな出来事の連続でした。それを、YouTube で家内と一緒に、秋分の日の祭日に観たのです。
武の様子が印象的に描かれていて、一匹狼の太、前のリーダーの須藤が入院先からクラスに帰って来て、武に対抗するグループを形成し直すために、両者が、東京から疎開して来た進二を味方に誘う動きが、微妙に描かれていました。十歳ほどの男の子の間に見る権力闘争があって、けっこう難しいもののようです。腕っぷしと知力の強く優れた子どもたちの覇権争い、権力闘争なのです。
騎馬戦あり、軍事教練あり、子どもたちが隊列を組んで軍歌が歌われているのも興味深いものでした。あの時代の子どもたちが、唱歌ではなく、軍歌を一生懸命に歌って、時代を反映していたわけです。映画の中で、『武運長久』、『進め一億火の玉だ』の幟(のぼり)が垂れ下がっていました。
「予科練の歌」
若い血潮の 予科練の
七つボタンは 桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
でっかい希望の 雲が湧く
「荒鷲の歌」
見たか銀翼この勇士
日本男児が精こめて
作つて育てたわが愛機
空の護りは引受けた
来るなら来てみろ赤蜻蛉
ブンブン荒鷲ブンと飛ぶぞ
「轟沈」
可愛い魚雷と 一緒に積んだ
青いバナナも黄色く熟れた
男世帯は 気ままなものよ
髭も生えます
髭も生えます 無精髭
こんな歌を、国民学校五年生がを歌っていました。一億総戦意高揚の時代って、大変な時代だったわけです。でも、進二と武の友情も育まれているのです。富山の街の方面の空が真っ赤だった場面がありました。B 25の焼夷弾の空襲による火災です、私の上の兄は、山奥の村から、街の空が真っ赤に燃えている光景を覚えていると言っていました。
あの八月十五日が来て、日本は米英の前に、敗戦を喫して、戦争が終わるのです。年が明けた頃でしょうか、進二は、東京の両親から送られて来た荷物を受取りに、隣町に木炭バスで出かけます。その街の悪童たちにからまれるのです。それを救ったのは、自転車で追いかけて来た武でした。形勢不利で物陰に隠れた後、武は、進二と二人で、この町の写真館に入って、二人で写貴を撮ってもらうのです。
チャイムのない時代、授業の開始と終了の時間は、小使いさん(これは差別用語で用務員さんがいいのでしょうか)が、手で打ち鳴らす鐘で知らせていた場面がありました。小学校に通っていた頃、同じような鐘の音が聞こえたのを思い出したのです。優しいいおじいさんで、小太りで、頭に毛のないおじさんが、腰に手ぬぐいを下げて校庭に出て打ち鳴らしていました。習字の内容も「少年兵」、「軍用犬」が墨書されて、教室の後ろの壁に掲出されてありました。
戦争終結間もない時に、進二のお母さんが、東京から迎えに来るのです。翌日の汽車の切符が、すでにお父さんの手で用意されていました。駅には、進二を見送る友人たちが、ホームに集まりますが、餓鬼大将の座を、須藤に奪い返された武は、そこにはいませんでした。進二の乗る汽車を、駆け足で追い、手を振り合って無言の別れを、二人はするのです。
二年に満たない間の出来事でしたが、とてつもない経験をしながら、少年時代を通って、彼らは戦後を生きて来たわけです。宝のように持ち続けてきた、父親にもらった、有名な軍艦のベルトのバックルを、武に、進二は残すのです。家内の姉たちは、この租界の経験者だったようです。平和な時代でも、子どもの世界は様変わりしても、今でも同じように大変そうです。
(ウイキペディアによる学童疎開の様子、米軍B25爆撃機です)
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