銭湯

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昨日、久しぶりに、"人形町"の「銭湯」に行きました。戦後間も無く開業したそうで、昭和を懐かしく感じさせる風情が、玄関、番台、着替え場、板製の床、浴槽に溢れていました。浴槽の上には、松原、海、新幹線、トンネル、青空が描かれた、お決まりの"ペンキ絵"があって、その右端の下に"28.2.1"と記されてあったのです。

泊めていただいてる宿舎から、自転車に乗って、要件を済ませに出掛けたのですが、道々、冒険心と探検心が湧いてきたのでしょうか、あちこちと寄り道したりで、新発見をしました。江戸から続く旧所名跡があって、もう少しユックリとこぎたかったのですが、看板や案内板を横目で見て通り過ごしてしまいました。

次の機会には、お弁当持ちで、江戸情緒の残る辺りをめぐって見たくなりました。そんなで汗を流すために、「銭湯」に入ったのです。6人ほどの入浴客がいて、やはり年配者が多いのです。その中には、足袋(たび)を履いている方がいたりで、息子に代を譲った「下町の退役旦那衆」なのでしょう、常連さんの様でした。

何よりも、この「銭湯」は、"江戸っ子"の好みに合わせたのでしょう、湯温が熱いのです。慣れない私には、2、3分が限度ですが、5分ほど入って、体を流しての"烏の行水(からすのぎょうずい)"でした。湯ざましに、洗い場に置いた椅子に腰掛けて、鏡に向かっていましたら、隣の五十代ほどのおじさんが、スクッと立ち上がったではありませんか。この方の隣のおじいさんが、年寄り用の座椅子を手にして、洗い場から出ようとしていたのを見て、その椅子を手に移して、助けていたのです。

「敬老」でしょうか、「労わり(いたわり)」に満ちた、咄嗟(とっさ)の助け舟でした。ああ言った行動は、"江戸っ子気質(かたぎ)"からくるものに違いありません。いいものを見せていただきました。いつもですと、湯上りに「牛乳」が飲みたくなるのですが、見当たらないので諦めて出てしまいました。"人形町"は、江戸期には、特別な地だったのですが、この同じ土の上で、多くの笑いや涙や出会いや別れなどが繰り返されてきたのでしょう。

そこを出て路地裏の道を歩き、表通りに出て、漬物屋、陶器店、和菓子屋、和服店などを覗き見しながら、そぞろ歩いて、"マツキヨ"で、洗濯にも洗顔にも洗髪にも『よい!』と言われた、"固形石鹸"を買い、小さなスーパーで、米と小松菜を買って帰ったのです。家内が妹を訪ねて留守なので、前日に買った、肉と長ネギなどで、"水炊き"で、夕食を済ませました。今夕食は、昨日の残りです。

今日は、警察署に用があって、息子に連れて行ってもらい、息子の家に泊まった娘夫婦に会い、成田空港に向かう彼女たちを見送ったのです。明日から、連休の後半、週末に用がありますので、その準備をしながら、時間を作って、自転車探検の続きでもすることにしましょう。「平賀源内の電気実験」の跡地が、隅田川の対岸にあるそうです。『行けるかな?』の夕方であります。

(広重の「隅田川」です)

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春の花

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この花は、西中国(日本です)の深入山に咲いている「アリアケスミレ」です。紫色が、実に綺麗です。☞「里山を歩こう」


次女の家の庭に咲いている「ハナミズキ」です。長く過ごした街の街路樹に、ハナミズキが植えられていました。

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壽衛子笹

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春の山野に目、土を割って芽出す草、咲く花、飛ぶ鳥や昆虫、うごめく虫などを観察して、写真を撮って、配信してくださる「里山を歩こう」を閲覧(えつらん)させていただくと、一緒に山野を歩いてみたい誘惑に駆られてきます。名を知らない花が綺麗に咲き、名を知らない草が生い出ている様子を見て、『誰が、どんな風に命名したのか?』と、思っていましたら、植物学者の「牧野富太郎」の名を思い出しました。

この方の命名された草に、「スエコザサ」というものがあるそうです(添付の写真です)。家の家計など、全く関心を示さないで、植物研究に没頭する夫を、陰で支えたのが、奥様の「壽衛(すえ)」でした。その愛妻の名を、この新種の笹に命名して、「和名」になったのだそうです。この牧野富太郎は、小学校を中退し、独学で研究を進めて、東京帝国大学の講師になり、《理学博士》の学位を取得したのです。

牧野富太郎の言葉に、『雑草という名の草はない!』があります。どんな草花も、一括りで<雑草>と呼ばない、自然界の植生への畏敬の思いが、そう言わせたのでしょう。この言葉を聞いて、一つの話を思い出しました。『子は鎹(かすがい)』と言います。両親(夫婦)を、しっかりつなぎとめる役割が「子」にあるので、どう言われ続けてきました。一人のお母さんが、『子は滓(かす)がいい!』と勘違いして聞いて、どうにもならない息子を忍耐して育て、更生させたのです。

「滓の様な子」をありのままで受け入れて、育てて一人前に育てたお母さんの《勘違い》がよかったわけです。造られた物に、<雑>や<不要>や<無価値>なものなどないのです。牧野富太郎は、ひっそりと、日陰で生きている草花に、愛情を向けたのでしょう。薔薇や桜や菊などの誇り高い花にも匹敵する、《美》を見出したのでしょう。

日本の学問の分野には、《在野の研究者》の功績が多くあるのです。牧野富太郎の編んだ、「植物図鑑」は、研究者が今日でも参考にする、貴重な本、図鑑なのだそうです。それを編むことにできた背後には、「スミコ」さんがいたわけです。男の背後に、母や妻がいるのを、忘れない様にしたものです。

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地球

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帰国中、今回は、日本橋の三層の首都高速道路を、窓から間近に見られる、友人の社屋の5階にある、"ゲストルーム"に滞在させてもらっています。首都高の結構高い壁(走行の車のタイヤやエンジン音を遮断するものです)の上方に、通行中の大型のトラックやバスの上部を見る事できます。

日中に比べ、夜間と早朝は、貨物輸送のトラックが、引っ切りなしに通過して行きます。帝都・大東京の物流、物凄い量なのだと分かります。"玄関から玄関へ"の至便性から、トラック輸送の数量が、どこの国でも一番多いのでしょう。でも、燃料資源の埋蔵量には限界がありますから、将来に向かって、どうなるのか、やはり心配になってしまいます。

帰国するので、私たちの街の国内空港、香港国際空港、成田国際空港と乗り継いで、航空機を利用したのですが、どの空港も離発着の航空機の数は、数え切れませんでした。3つの空港でも、そうなのですから、世界全体では、どれだけの数があるのか、その使用燃料を考えますと、天文学的な量になるのでしょう。地球が埋蔵している化石燃料は、あとどの位残されているのでしょうか。

実は、昨年末の自分の誕生日は、<運転免許証>の更新日でした。あいにく、国外におりましたので、更新猶予期間があって、管轄の運転免許センターに行って、今回の帰国時に更新する事ができます。今回、『どうしようか?』と考えた末、"限りある資源を大切に!"に呼応して、自分で自動車を所有して、運転するのをやめる事にしたのです。排ガスで地球を汚染しない事にもなります。

それに、私は、2006年に、中国での生活を始めましたので、12年の間、車の運転から、ほとんど遠ざかっています。この間、高知に行った時に、竜馬空港から明徳義塾高校に行く時に、レンタカーを運転しました。中国の大きな工場の構内で、知人の車を運転しました(無免許運転にはなりません)。そして、帰国時に、坂道を運転するのが怖い義妹に代わって運転したのです。12年の間、たったの、この3回でした。

若い頃の運転スキルに戻すには、ブランクが長すぎるのです。また、事故を起こした事や違反をした事を思い出して、<加害者>にならない様に思って、運転免許証の《自主返納》を決めたのです。グアム島で、アメリカの運転免許証を取り、次いで、日本の運転免許証を取ったのを思い出して、淋しくなりますが、最善の決定になるのだと思っているところです。

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婚礼

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私たちには、四人の子どもが与えられ、次男が二十歳になった時、その《子育て》が、『終わった!』と思いました。長男から数えて、《28年》の年月だったでしょうか。みなさんが、そうなのですが、初めての親業を始め、"クスグッタさ"を感じながら、自分の父親の事を思い出し、失敗も多かったのですが、結構真面目に、家内と二人、親をやって来たと思い返しています。

自分の欲しい物を買いたかった事もあったのですが、"我が儘"を引っ込めて、子ども優先で後回しのまま、先週末、次男の婚礼に出席しました。《男児佳人を得》、次男に最善の伴侶が与えられて、その二人を眺めた感情は、《平安 》でした。また、《責任の完了》を感じて、肩の荷がスルリと降りた様です。

次男は、八つ違いの兄の司式で、"Better half"と、互いへの責任を約束し合う事ができたのは、新しい一歩としては、最高だったに違いありません。社会的な責任をとって、素敵な家庭を作り上げ、訪ねてくる人たちが、日常のプレッシャーから癒されたり、新しい生き方を見出して救われたり、ホッとできる場所になったらと願いながら、式の間、会堂の席に座って、そんな事を願っていました。

『溢れる恵みが満ち満ちる様に!』と、次男が生まれた時に願った日の事を思い出しています。これから始まる二人に、47年の結婚歴の私たちと、時の後先はありますが、《好い家庭》と《好い関係》と《好い空間》、そして《溢れかえる恵み》を願う、新緑の四月朝です。

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昨日今日

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昨日から、二十代で出会った若い頃からの友人たちと、多くは夫妻で14人ほどが集まって好い時を過ごしています。この写真は、朝5時半に、泊まったホテルの5階の窓から、周辺を写したものです。曇りですので、ぼんやりしていますが、様々な緑が、昨日は陽を浴びて輝いていました。

九州、近畿圏、首都圏から互いにやって来た仲間と、近況を語り合っております。これから朝食をし、交わりの続きをし、昼過ぎに解散になるでしょうか。私たちは、8年ぶりの参加で、私たちの帰国に合わせての交流会です。かつては来日されていたアメリカ人企業家も、ここに加わっていましたが、彼らはすでに召されてしまっています。和やかな交わりが継続しているは、彼らのお陰でもあります。

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深山カタバミ

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この花は、先日も掲載させてもらった、「ヒトリシズカ」です。「静御前(しずかごぜん)」にあやかった命名だと、「里山を歩こう」に、解説されてありました(「帝釈峡」に咲いていた様です)こんなに清楚に、凛(りん)と、義経の前でしていたのでしょうか。京の白拍子で、義経の愛妾だった人です。

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これは、「ミヤマカタバミ」だそうです。「深山」に咲くから、そう命名すたのでしょう。野山を歩いて、見た花に、この様に命名した人たちは、すごい連想の能力を持っていたのですね。

都会の喧騒から離れて、山野を巡り歩いて、自然観察をする方が多くおいでなのですね。この魅力に取り憑かれたら、雨の日でも苦にならないにでしょう。このブログを書かれておられる方は、雨の日に出かけたそうです。若い時に、「蜘蛛博士」がいました。みんながそう呼ぶほど、蜘蛛収集が好きでした、写真屋さんで、素人の研究者でした。元気なら、今も、捕虫籠を腰に、出かけておいででしょうか。

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大人

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「大人」は、中国語の漢語では、"daren"と読みます。

1. 對德高或地位尊者的稱呼。 徳や地位の高い敬うべき人
2. 對父母或尊長的稱呼。 尊敬すべきすべき父母
3. 對權貴或官吏的稱呼。 お役人
4. 成年人。相對於小孩而言。 子供に対して成長した人
5. 巨人。 大きな人(たぶん人間的に大きい事でしょう)

そんな幾つもの意味があって、ここ中国では、古来、使われてきている様です。私も、『早く大人になりたいなあ!』と仕切りに思ったのは、映画を観に行った時でした。子どもの頃の映画館は、他に娯楽がなかったからでしょうか、いつも満員、映画全盛期でした。大人ばかりの中で、背中が邪魔でスクリーンの映画が観えなかったので、そう願っていたのです。タバコが吸えて、お酒が飲めるからではありませんでした。

この「大人」を形容詞化したことばに、「大人しい」があります。"語源辞典”によりますと、『成熟さや思慮分別が備わって、成人になった事。穏やかで、静かで、落ち着いた様を持つ事。さらに、素直さや従順さを持ち合わせてる事。』とあります。としますと、多くの大人は、決して<大人しくない>のが現実に違いありません。

ある中学生が、『大人の大人になりたい!』と言っていたそうです。人に会ったら、挨拶をする様に教えてくれたのに、言った本人の<大人>が実行しないのです。お役所や国会といった、<大人社会>が、嘘や誤魔化しや不正、最近流行っている「改竄(かいざん)」などで溢れているのを知ってしまったからです。

そういえば、私の父に、嘘をつかれたことや、約束不履行はありませんでした。母は、正直な人でしたから、人の悪口を言ったのを聞いた事がありません。でも一旦社会に出ましたら、嘘や非難や批判、相手への侮辱は日常的に行われていました。いわゆる、<汚い大人>だらけでした。私を人間として整えてくださった方たちは、《大人しい大人》でした。

まず私が、<小人国>の中で、《大人らしい人》になるのが先決なのでしょう。"精神的ガリバー"が、昔は、多くいたのではないでしょうか。彼らの生き方に倣って、そうなりたいと、この中学生の声を忠告に、耳を傾ける事にしましょう。

香港

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1時間ほどの延着で、香港空港にいます。"transit"で、午後3時20分発の成田便に搭乗するために、待機中です。いつもと違う"ランチ"を食べたところです。そう、12年前の8月に、香港に家内と一緒にやって来て、一週間過ごして、寝台列車で、北京に着き、語学学校のある天津に向かったのです。この12年の始まりでした。

最初の香港訪問は、北京、呼和浩特(フフホト)、上海、広州を訪問した後に、帰国するために、広州から出て来て、1日過ごしたのです。知人が市内を案内してくださって、大陸の街との違いを感じたのが昨日の様です。その後、再び、ここを訪れ、ビルの林立する香港の街中で過ごすのかと思っていましたら、緑が青々とした林の中に連れて行っていただき、全く違う香港を、快適に過ごしたのです。

ここから北京行きの、寝台夜行で、26時間ほどで、翌日の夕方に着き、迎えのバスで、天津に着いたのでした。一緒に行ったブラジル人の婦人が、アメリカから来た親戚の青年と、同じ列車の中で、偶然に会って、驚いたのを思い出します。

12年前と違って、空港が移転してしまっている様で、周りを見回しますと郊外の感じです。明後日、次男の婚礼があります。好い時である様に願って、そろそろ搭乗手続きをしようと思っています。

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