Cultural confidence

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 “ Cultural confidence “ と言う言葉があります。「 文化人類学」の分野では、『自国の伝統文化への絶対的な誇り!』だと定義しています。敗戦の焼土の中から立ち上がって、世界を驚かせた日本の経済復興がもたらせた、経済的な豊かさを誇る様なこととはちょっと違います。

 戦国時代にやって来たヨーロッパからの訪問者も、幕末にやって来た外国人も、日本人の生活振り、振る舞いを見て、驚いた様子を書き残しています。それは、ヨーロッパにも、他のアジアの地域には見られない、独特の日本人の在り方を高く評価したのです。

 《謙遜さ》は素晴らしいのですが、〈日本人の卑屈さ〉は美徳ではありません。これは遠慮や譲歩とは違って、〈自信のなさ〉が、そうさせてきているのです。優れたものを受け継いでいることに自信を持ったら、今の日本人はもっと輝くのでしょう。

 国粋主義、日本主義に陥らない様に注意しながら、庶民は生きてきています。アメリカ人の生物学者、E.モースが、1877年に発見した、その「大森貝塚」は、日本の考古学に光を当てた、学術的な大貢献でした。私の父が、旧制中学の時に、この大森(東京都品川区)の親戚の家に寄宿して、そこから学校に通っていたと言っていました。

 このモースが、三度の来日で触れた日本について、「日本その日その日(Japan Day by Day 講談社学術文庫版)」を著しています。39才で初来日した彼が、東京帝国大学で教えながら、東京や、旅先で見聞したことを、スケッチ入りで書き著した本なのです。偏見や蔑視のない目と心と体で触れた、江戸文化を残しつつ、新しく変えられていく日本の街々と人々と事物を捉えたのです。

 横浜、東京、江ノ島、日光、函館、長崎、鹿児島、京都、瀬戸内海と、精力的に旅をしたのです。主に学術的な目的を持った旅でしたが、日本文化に感心しながら触れた日本滞在記です。こんなことが、記されてあります。
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 「人々正直である国にいることは実に気持ちがよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠を掛けぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは、一日に数十回出入りしても、触ってはならぬ物には決して手を触れぬ。私の大外套と春の外套をクリーニングするために持って行った召使いは、間も無くポケットの一つに、小銭が若干入っていたのに気付いて、、それをもってきた・・・・日本人が正直であることの最もよい実証は、三千万人の国民の住家に、錠も鍵もかんぬきも戸鈕(とちゅう)もーーーいや、錠をかける戸すらもないことである・・・」

 私の恩師たちの目にも、日本人の正直さは強烈な印象があった様です。しかし、「本音と建前」を使い分けてしまう日本人を、なかなか理解できなかったのです。〈約束をしてもそれを守らないこと〉は辛かった様です。それは、〈NOと言えない日本人〉の一面です。『明日来ます!』と、用があって来れないのに、『来れません!』と言って、相手をがっかりさせたくないので、そう言ってしまう日本人の心の動きが理解できなかったのです。

 この様に、日本にも日本人にも欠点が多くありますが、総体的に、日本への高い評価のあることは、私たちが誇っていいのかも知れません。明治期も二十一世紀も、変わっていないようで安心しました。物質の豊かさを誇るわけにはいきませんが、培われた文化的な素養は誇ってもよさそうです。

(モースの描いたスケッチです)

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蚊帳の外

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 中国の蚊も、日本の蚊と同じで、私が好きな様で、華南の街では、真冬にも出没して、私を幾度となく刺したのです。それで、在華中の13年は「蚊帳(かや)」を広げて就寝していました。それでも蚊帳の中にあやつは、隙を突いて侵入して来るのです。

 「蚊帳の外」と言う言葉があります。そこは危険地帯で、蚊の攻撃を受ける場所のことです。でも意味は少し違っています。集団の中で、故意に大切な情報を知らされなかったり、物事に関与できない立場におかれて、「無視されること」を言っています。「孤立」や「仲間外れ」になることです。

 〈いじめ〉の中で、この〈無視される〉ことは、とても辛い経験でした。戦後、占領軍のマッカーサーに遣わされた、多くの宣教師が、東京の北多摩郡にの街に来られて、しばらくの間、日本語や日本文化を学んで、そこから全国に、その働きにために散っていったのです。家内の母親が、この人たちに日本語を教えていました。そう言った関係で、アメリカから送られてきた物資を、個人的な関係で、衣服などをもらったそうです。

 家内は、その古着を着て学校に行きますと、ボロを着ていた男の子たちの羨望の的になり、それが〈いじめ〉になっていったそうです。古着や着ていた家内が悪いのではなく、物のない時代が生み落とした〈いじめ〉だったのでしょう。〈いじめ〉られて、『何すんのよ!』と報復ができたらいいのですが、家内にはできなかった様で、ずいぶん傷ついたそうです。

 焼け跡のすさんだ社会には、いまでは想像できないことが多くあったのでしょう。そう言った経験があったので、家内は、弱い人たちに優しく接することができ、中国での13年にも、そう言った人たちの助けをすることが、家内にはできたのです。でも世の中には、悪質ないじめをする人が、子どもの間だけではなく、社会全体、国にもいます。

 蚊の話ですが、どうも特定の人が刺される傾向がありそうです。半世紀以上にわたって蚊を研究してきた元東大教授・池庄司敏明さんに、『どんな人が蚊に刺されやすにですか?』と質問しましたら、『体が大きい人(太っている人)は蚊も見えやすいし体臭も多いから、刺されやすいね。体温が高い人、汗をかきやすい人も刺されやすいです!』と答えています。

 いじめと蚊とに、刺される対象が似ていて、いじめっ子はいじめられっ子の匂いに敏感に反応して、〈刺す〉のです。蚊に刺された後の痒み止めがなくて、娘が「キンカン」を空輸してくれたことがありました。いじめに効く薬もあるはずです。香港の周さんが、禁固刑の判決を受け、刑務所に入獄したとニュースが伝えています。公平な裁判なしの判決で、蚊よりも酷い仕業です。中国の蚊も同じで、情け容赦なく強烈でした。その「蚊帳の外のこと」を、天は一切をご覧になっておいでです。

(香港の国花の「バウヒニア(Bauhinia blakeana)」、俗に香港蘭 “ Hong Kong orchid tree “ と呼ばれることもあります)

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 『人間も動物なので!』と、ラジオのゲスト・コメンテーターが言っていました。そうでしょうか。私は、自分を〈動物〉扱いした父や母に育てられなかったのです。一個の人格として接してくれました。わがままや決まりを守らなかった時に、父の拳骨が降ってきましたが、和を乱すものを矯正し、教える方法ででした。それで、自分も他の人も、人格を持った、尊厳に値する人としてみて、今日まで生きてきました。

 最初の人が造られた時、創造者は、

「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて・・・神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった・・・」と仰られました。

 「非常によく」人はつくられているのです。英語ですと、” it was very good “ とあります。単に、良かったのではなく、[特別に]とか[非常に]配慮されて造られているのです。どの様に特別で非常によく造られたかと言いますと、次の様に聖書にあります。

 「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』」

 私たち人は、神に似せて,その《神のイメージ》に従って造られたのです。人には、知 性があり、感情があり、意志があります。それらを用いて、創造者を思い、人間同士の交流をし、より良いものに変えられて生きたいとの願いを持ちます。危機に迫った隣人を助け、落胆する者を慰めたり励ましたりします。泣く者と共に泣き、悲しむ者と共に泣くのです。そこに人格的な交流があるからです。

 私は、天地万物の創造者、統治者を信じる、信仰者の母に育てられました。人格的に辱められる様なことは一度もありませんでした。養育の責任を、その神から受けて育ててくれたのです。人として、男として生きて行く道を教えてくれました。義を愛し、隣人を愛し、弱者を助け、落胆している人を励ます様に教えられました。

 先週、隣人の飼い犬が、老衰で亡くなりました。家内が散歩で会って、家内になついていた犬だったのです。飼い主のご婦人が外科手術で入院中に亡くなってしまい、その悲しみはとても大きかった様です。家内は、悲しむご婦人の悲しみに連れ沿って、その日、2時間ほど共にいてあげたのです。動物の命と、人の命は違います。家内の母親は、私たちが滞華中に亡くなりました。その死別の悲しみは非常に大きかったのです。親子の深い人格的な関わりがあったからです。

 人の命が、どれほど尊いのかと言いますと、神から付与されているからです。人の狡猾さを見て、つまずいた若かった私に、「鼻で息をする人間を頼りにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。」と母に教えられました。〈人間不信〉を教えたのではなく、人には限界があるとの〈人の真実〉を教えてくれたのです。《頼り》にできるのは、神以外にいないからです。そして、喜ぶ者と共に喜んでいたいものです。

 
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contrast

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 魅入ってしまった一葉の写真です。次男が撮影して送ってくれたもので、十一月の終わりの都内の一郭の夕べが映し出されています。動と静、暗と明、天と地、縦と横、手前と奥行き、右と左、無色と有色、高と低、自然と人造物などの対比が見られて、なんとも言えません。

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 農家の庭の柿の木に、秋になると、「柿」の実がなっていて、そこを通るたびに、『農家の子に生まれたかった!』と思っていました。桃も葡萄もドリアンも大好きですが、この「柿」ほど美味い果物はないのだと決め続けている私です。今季、近くのスーパーや「街の駅」に出掛けて、この「柿」を、何度買ったか知れません。13年も日本を留守にして食べなかった分を、今年は食べ足した様に思うのです。

 柿好きを「柿喰い」と、言うのだそうです。「柿」が読み込まれた有名な俳句に、

 柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺

という、正岡子規の句があります。どんな柿を、子規が食べたのかと言いますと、朝廷に献上する「御用達(ごようたし)」に推奨されるほどに美味しい、「御所柿(ごしょがき)」でした。子規もまた、自分を、《柿喰い》と言うほど、柿好きだった様です。

 戦時中に父のお世話をしてくださった方が、私が住んだ街の卸売市場の「青果商協同組合」で、理事長をやっていたのです。このおじさんの紹介で、その市場で、午前中、「仲買い(なかがい)」の手伝いのアルバイトにしていたことが、私にありました。競りが終わって、その場内を歩いていると、『準ちゃん!』と、このおじさんに呼び止められて、『これは、珍しくて美味い「御所柿」だけど、一箱上げるから、奥さんと一緒に食べたらいい!』と言って、頂いたことがありました。

 どうも、それを食べてから、私も《柿喰い》になってしまった様です。本当に美味い「柿」だったのです。このおじさんは、私がお店(街の中心で果物屋をしていました)に顔を出すと、『ウナギでも喰おう!』とか、『今日は、カツ丼でも喰おう!』と言っては、訪ねるたびに、近所の食堂に連れて行ってくれた方でした。

 こちらでは、ここ地場産の柿が売られていて、美味しくいただきました。それは「御所柿」よりも、また「富有柿(御所柿の改良種の様です)」より小ぶりの柿で、糖度があって実に美味いのです。きっと出回る時期は、そう長くなかったのでしょう。柿って種類が多そうです。

 この「柿」を喰えば、自分の子どもの頃、また子どもたちが小さい頃のことを思い出してしまいます。これからは、家内の好きな、「干し柿」が出回るのでしょう。『柿が赤くなると、医者が青くなる!』と言われてきた様に、滋養豊富な果物なのでしょう。今季は、今日、訪ねてきた友人と家内と三人で、最後の一個を食べ終えてしまいました。

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マスクと判断

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 新型コロナの感染予防のために、外出ごとに、家内も私もマスクを確認をしながら、家を出る毎日です。それで、何年も前のこと、新潟に出掛けた時のことを思い出しました。日本海側は、雨降りが多く、雷もよく発生するのだそうです。雨に慣れているので、濡れるのに慣れておいでかと思いましたら、そうではなかったのです。

 新潟の諺に、『弁当忘れても傘忘れるな!』があるそうです。雨に濡れて風邪を引いて重くなって肺炎にならない様な、細心な注意がされて、弁当よりも傘の方が大切な携行品だとお聞きしたのです。次男が新潟の高校に進学しましたので、家内も私も何度も新潟に行きました。

 入学間も無く、春の運動会があって、家内と出掛けた時も、雨降りでした。グランドも泥だらけで、中止かと思いきや、強行されたのです。先生と生徒たちが、構内やグランドに砂を運んだり、懸命に作業をしていました。それでも運動会が行われ、応援の歓声がグラウンドに響いていました。

 恩師のお嬢さんの関係で、子どもたちが学んでいたアメリカ西海岸のオレゴン州の街も、日本の日本海側の街と同じで、雨降りの多い地域で、ここの人たちは、濡れるのに慣れていて、傘なしでも、“ No problem !(平気平気)“ で生活をしているのに驚かされたのです。

世界中で、今日日、新しい諺ができているに違いありません。『弁当忘れてもマスク忘れるな!』でしょうか。今日も、家内と一緒に外出をしたのですが。家内は、2度もマスクを忘れてしまい、私が家に取りに帰ったほどです。もうマスクなしの生活は考えられません。

 この薄い布が、コロナ菌を、どれだけ防げるのかには、私の経験から、少々懐疑的なのです。でも、道ですれ違う人に、安心感を与えられるという効果は絶大です。ニュースでしょうか、配信の動画でしょうか、アメリカのスーパーの買い物客が、マスクを着用しているかどうかのチェックがなされている様子が映し出されていました。

 無着装のお客さんに、店側はけっこう厳しい対応をしていたのです。アメリカも、ここ北関東の街でも、年配者で男性のマスク無しが多いかも知れません。寒くなって、保菌検査で陽性になる人が増え続けています。寒さが厳しくなるにつれ、爆発的に急増することも考えられます。重症者や死者も増えています。『一応、覚悟しておこうね!』と家内に言ってあります。

 私の愛読書に中に、次の様な一節があります。

 「あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、いま引き止めているものがあるのです。」

 やがて一人の「彼」が登場し、医学や疫学の方策がなく、お手上げの絶望状況下で、予想すらしなかった方策で、このコロナ攻勢を制圧するのではないかと思わされています。救世主の再来だと、多くの人が彼を崇め礼拝する様になるのではないでしょうか。私を教えてくださった方たちの教えなどから勘案すると、そう言ったことが起こりうると感じているのです。

 これは個人的な見解であって、そうでないかも知れません。様々な問題が、世界中に山積している時代の頂点に、その「彼」が登場し、人心を自分に惹きつけます。人口と食糧、国際紛争、自殺、青少年問題、離婚、性倒錯、気象異常などが、深刻化してきています。それらを解決するのでしょう。

 しかし、この「彼」は、真正な「救世主」ではありません。そんな気配が感じられてきそうな世相ではないでしょうか。しっかり目を見開いて、口にマスクをして、時の動きを正しく見て、判断していこうと思っております。

 
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一輪の初冬

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 母親の誕生日、8月1日に、娘がお祝いに贈ってくれた「蘭(胡蝶蘭))」の最後の一輪です。4ヶ月の間、窓越しのカーテンの陰で咲き続けました。もっと長持ちさせられるのでしょうけど、11月30日、3℃の寒い朝も、陽を背後から受けた午後3時も、最後の花が、美しく、しっかりと咲き残っています。

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助言者

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 『次の時代を担う者は、どうあるべきか?』について、イスラエル民族の歴史に残されている出来事を思い出しました。

 父親が召されて、王位を継承した新しい王のもとに、嘆願者たちがやって来たのです。父親の治世下では、税の取り立てが厳しかったので、生活が大変だったのです。そこで、『ご子息だったら、厳しい取り立てはなさらなうだろう!』と期待してやって来たわけです。

 その王宮に、父親に仕えていた年配の長老たちが残されていました。この若い王は、この父の長老たちに、『民の訴えをどうしたら好いだろうか?』と相談しました。そうすると、父に仕えた長老たちは、『民に、親切な言葉をかけてやったら、彼らは、いつまでもあなたの僕になるでしょう!』と勧めたのです。

 ところが、父の長老たちに相談したまでは好かったのですが、すでに自分では、どう答えるかを決めていたのでしょう。自分の期待した答えが、長老たちから返って来なかったので、その進言を退けて、聞かなかったのです。『どうしたら好いでしょうか?』と聞いてくる人は、相談ではなく、自分の決めたことに、<同意してくれること>を願ってやって来る事例が多い様です。それは、到底、相談とは言えません。

 それで、若い王は、子どもの頃から、一緒に育った若者たち、つまり「ご学友たち」に相談、いいえ、同意を得ようとしました。案の定、若者たちは、『厳しく取り立ててください!』と言います。そして、『この民には、「私の小指は父の腰よりも太い、」、「父よりも、さらに重税を課そう。私の父は、お前たちを鞭で懲らしめたが、私は蠍(さそり)で懲らしめよう!」と言ってくだい!』と言ったのです。

 同意を得た、この若き王は、その通り、民に告げました。若者たちは、若き王、二代目に、《ヨイショ》をしたわけです。『ノー!』と言う勇気のない者は、「助言者」にはなれません。

次代を担う指導者が、その責任を果たすために、天は、長く経験を積んだ長老たちを、その人のそばに置かれます。その年配者の経験や知恵の中からなされる、忠告や進言に、耳を傾けて、正しく責務を果たさせるためです。歴史の中で、その時代の必要に、十二分に届いた為政者、行政者、社長、会長のもとには、「よき参謀」がいました、”No 2(ナンバーツー)”に徹して、主君、社長に仕えた《番頭さん》がいたのです。それゆえ、その指導者が、つつがなく責務を果たし、名君、名社長として名を残すことができたのです。

 多くの人は、『自分に実力や能力が備わっているから!』とか、『私だけが適任者だ!』、『俺がいなければ、この国、(会社、共同体、この部署)は駄目になってしまう!』と勘違いしています。いつでも責務を引き継げる《第二世代》、《後継者》が、育ち、整えられ、備えられているのです。後継者がいなくて駄目になるにではなく、後継者が驕り高ぶったので、崩壊してしまったのです。いつでも、責務を引き継げる人がおります。

 会社も、商店も、共同体も、官庁も、何処でも、《後継者問題》を抱えています。案ずるなかれ、『その人がどきさえすれば(居なくなれば)、そのポストを担う人が出て来て、さらに勝った務めを果たすことができる!』、これが歴史が証していることです。

 後継者は、自分と務めで、益を被る人と、その人の家族や子弟のために励まねばなりません。また、その務めを後継する、「第三代目」の鑑になるように、責任を行うのです。賢い「番頭(ばんとう)」を持った主人の店が栄えた様に、内閣も、学校も学校も同じで、公義に立つ助言者を持つ指導者は栄え、名を残すのです。

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三大花木

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 上から、フランボヤン(鳳凰木・ホウオウボク)・ジャカランダ(紫雲木・シウンボク)・スパトデア( 火焔木・カエンボク)の世界の三大花木です。季節は、「そぞろ寒」から「本寒」に移りつつあります。私の恩師の誕生日は、” Thanks giving day “ でした。お元気なら、85歳になっていたのです。ジョージアの片田舎の出身でした。下は、ジョージア州花の「チェロキーローズ」です。

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お白洲

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 「わいろ」と「政治献金」のお話です。菓子箱の底に小判を隠して、『ご挨拶に参りました!』と手土産を差し出す場面が、時代劇によくありました。お代官様は、その菓子の底の小判を確かめると、『うむ、分かり申した!』と、裏取り引きに手を染めて、偽手形や特権の権利書などを発行していくのです。そんなこんなで、お代官様は、在任中に一財産を築き上げて、左団扇で余生を送るのです。

 家が豊かなので、ばか息子がそれを、親に見習って、妾を囲い、遊興や博打に散財して、身も財も滅ぼし、お家は崩壊と言うのが、三文芝居の筋書きです。そういった反面、庶民、町民は、たまに落語や小屋掛の芝居に出かけるくらいで、地味で勤勉な生活をしていたのでしょう。堅実な生き方をしていた様です。

 賄賂を英語では、"under sleeve “ と言うそうです。これは日本や江戸時代にあっただけではなく、洋の東西を問わず、二十一世紀にも横行している裏交渉です。先日も、有名なアメリカのテレビ俳優が、自分の娘の大学進学に、これをやって、刑務所送りになったとニュースが伝えていました。実力がないのに有名校に進学して、また賄賂攻勢で単位を積んで、無実力の社会人になって、社会的立場を得て、また賄賂をもらって生きるのでしょうか。
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 主要な官庁の大臣をした人の選挙贈賄事件の裁判が、今まさに行われています。以前、住んでいた街の市会議長をした方のご婦人のお世話を、家内がしたことがありました。すでにご主人とは死別して、残された財で生活をしていたのです。このご婦人が、『悪い人がいるんですよ!』と家内の同情を買うために、過去を語ったそうです。『主人の選挙の時に、票集めで知人にお金を配ったら、それを言いふらした人がいたんですよ、なんと悪い人なんでしょう!』と。

 賄賂は地方選挙では、常套手段で、お代官様の菓子箱と同じなのです。これは国政選挙でも、多くあることで、ムヒカ元ウルグアイ大統領の様な、清廉潔白な政治家、貧乏な政治家は稀なのではないでしょうか。賄賂をもらってしまうので、〈心は小さく財布の大きな政治家〉になってしまい、もうその段階で、義を行えない政治家に成り下がって、国内外の賄賂提供者の思いのままに動かざるを得なくなってしまうのです。

 政治上の不正でも何であれ、しでかした事事は、いつの間にかうやむやになって消えてしまうと、多くの人が考えているのですが、そうではありません。人は行ったわざに応じて、裁かれ、その申し開きをしなければなりません。個人はもちろん、国や公共団体や企業体が犯した悪事も問われる日が来ます。とくに国の命運、人類の将来を決めるべきことを、誤った責任は、大きいからです。

 人類には、最後に審判の〈お白洲の筵(むしろ)〉に、誰もが座らされる時がありそうです。隠れてしたことが露わにされてしまうのです。『誰も見ている人がいなかったはずなのに!』と思ってみても後の祭りです。《お天道様》と言われる万物の支配者は見ておられ、記録されていて、言い逃れはできないのです。私も、そのお白洲に座すのですが、感謝なことに、私には《代わって死んでくださり弁護してくださるお方》がいるのです。

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