四川盆地

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四川盆地は、古来「天府の国」と呼ばれています。その四川省の省都は「成都」です。私は、ここに二度、家内と旅行しました。最初は中国の何処に行けるか、成都の南の街に住む知人のご両親を訪ねた時でした。その時は、ここで学んだり、学校で教えたりすることを考えたほどでした。もう一度は、語学学校の遠足ででした。パンダのふるさとに行きました。

中国が、「後漢(紀元25~220年前後)」の時代に、紀元184年から三国時代(220~280年)にかけ、広大な中国は「魏・呉・蜀」の三国(三国志の時代)が分立していました。四川省一帯は、「蜀」の国と呼ばれていました。初代皇帝が、「劉備玄徳」で、彼のもとには軍師・政治家として有名な「諸葛亮(孔明)」がいました。

その劉備が、諸葛孔明を、自分の軍師として求めるべく、礼を尽くして、三度、彼の元を訪ねています。それが「三顧の礼」と呼ばれている有名な出来事です。また「魏」の国には「魏の武帝」と呼ばれた「曹操」がいました。まさに「三国志」の舞台であり時代なのです。

現在の四川省の面積は、日本の約1.5倍で、人口は約9000万人です。ここを「天府の国」と呼ばれる所以は、地形が、外部からの軍事的侵入を防ぎやすく、敵に踏み荒らされることがなく、「岷江minjiang」の流域では、豊富な作物ができ、土地が肥沃だったからです。「天府」とは人の手が加えられてない、「天然自然」日であるという意味です。
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四川省は、米、油類、綿、麻、サトウキビ、桑、茶、果物、タバコ、酒などの産地で、中国全体でも農産物生産高のトップクラスです。県民性、省民性ですと、「成都人」は、自然要害に守られて、外敵の侵略がなかったことと、農作物の豊かさとで、「江戸っ子」の様に、〈宵越しの金を持たない〉と言われる気っ風の持ち主だと言われています。

ただ、華南の街には、陽が燦々と降り注ぐのですが、四川は、年間を通じて曇りの日が多くて、太陽好きには住みにくいかも知れません。私の教え子に、成都人がいて、熊本大学や長崎大学で学んで、来春には日本企業に就職が内定していると言ってきています。性格の穏やかな青年で、よく家族で春節前に作る、〈腸詰の四川風ソーセージ〉を頂きました。

四川盆地に流れる「岷江」には、「李冰libing」親子によって、紀元前256年から251年にかけて、洪水防止と灌漑用のための「都江堰(とこうえん)」が作られてあります。それに模して、武田信玄も、御勅使川と釜無川(富士川の上流)の合流付近が増水で氾濫するにで、そに対策としてに、「信玄堤」を作っています。

あの「麻婆豆腐」のふるさとで、その辛さは半端ではありません。〈四川料理〉は、火の様に辛いのです。でも、それが旨いんです。
「火鍋」という、水炊き(スープ)と油炊き(菜種油でしょうか)が鍋の半分を仕切りにしてあって、そこに肉や川魚や貝や野菜を入れて、シャブシャブ風にたべるのです。そう言えば、今は〈食欲の秋〉でしたね。もう一度、・・・のです。

(「都江堰」と四川盆地の水の出口の「瞿塘峡の夔門(きもん)」です)
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ホットリップス

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自転車で30分ほど行った所に、農協の野菜と果物の即売所があります。夏前に、そこで買った、鉢植えのホットリップスですが、今は地に下ろして、庭の一画で綺麗に咲き続けています。

「多年草 メキシコ北部原産。高さ1.5mほどになり、茎の基部は木質化する。葉は卵形で対生し、縁には鋸歯がある。茎頂や葉腋から花序を出し、赤色の花をつける。条件によって、赤い色の部分の割合が変化し、白一色、赤一色になることもある。花冠内の基部付近に1対の突起物がある。別名 サルビア・ミクロフィラ’ホットリップス’ 花期は4〜11月。学名は、 Salvia microphylla ‘Hot Lips’ シソ科アキギリ属
 似た花に同じくチェリーセージと呼ばれるサルビア・グレッギー(Salvia greggii)があるが、花冠内の基部に突起物がないとされる(「松江の花図鑑」から)」と解説されています。

家内と時々、散歩する道の下を流れる巴波川の橋のたもとに、綺麗に咲いていて、〈花ドロボウ〉で、二輪ほど手折って持ち帰って、卓上に置いたのが、わが家での初お目見えでした。出荷する農家の庭の一画に咲いていたものを、ご婦人が株分けしたのでしょうか、一鉢だけ売られていて、通りすがりに見るだけではなく、『家の庭にも!』と買ったものです。

暑い夏場は、赤色ばかりになっていましたが、涼しくなってきた今は、白色も混ざる様になってきています。可愛らしいのです。世界には花好きが多くいらっして、〈やはり野に置け蓮華草〉で、メキシコに咲くのが一番なのでしょうけど、絆(ほだ)されてしまった花ドロボウが、持ち帰ったのでしょう。

朝顔

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10月7日午前11時30分の朝顔です。ちょっと変形ですが、高い所で、〈孤高の花〉然とすまし顔です。最盛期に比べて、晩期の様子は、来季にバトンを渡そうと、咲き続けているのでしょうか。
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自然に還れ

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昨日の夕方、夕陽を受けて、やけに空が綺麗でした。ここは広々と広がる関東平野の北端に位置していて、夕陽が綺麗なのです。天津の7階のベランダ(中国語では〈阳台yangtai〉)から見える夕陽も、実に見事でした。

1919年(大正8年)に、作詞が中村雨紅、作曲が草川信の「夕焼け小焼け」を思い出してしまいました。

1 夕焼け小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
お手手つないで みな帰ろう
烏(からす)といっしょに 帰りましょう

2 子供が帰った あとからは
円(まる)い大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空にはきらきら 金の星

大正、昭和、平成の時代に歌い継がれ、令和の今も歌われていくことでしょう。幼い日を過ごした山の村の風情が思い起こされ、秋だからでしょうか、郷愁を覚えてしまいます。小学校が焼失してしまい、山のお寺の一部で、兄が学んでいて、その兄に連れられて行って、兄の机の横に椅子を置いてもらって、座っていた日をうる覚えしているのです。

月も星も綺麗に見える山村に、煙がたなびいていて、真っ赤に熟した柿や、ドドメや、アケビを採っては食べた日がありました。兄の学校の焼け跡に、アメリカから敗戦国の児童の栄養補給で寄贈されていた〈脱脂粉乳〉を、長筒の入れ物の中に手を入れて、頬張って食べたことがあったのです。また兄の教室で、調理したミルクを分けてもらって飲んだのです。

生まれ育った村よりも、もっと奥に村落があったのですが、昔は、そんな所にも、人が住んでいたのを知って驚かされました。でも、もし許されれば、そんな山奥に住んで見たいものです。熊や猪に出くわすかも知れませんし、食料の買出しも大変かな。病気したら、“ ドク・ヘリ ” が飛んで来てくれるでしょうか。電話がないとダメですね。自然に還れ!
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秋桜

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「庭のコスモス」と言いたいのですが、わが家では、「窓際のコスモス」で、枝が曲がって咲いたのもあり、応急手当ての様にビニール紐で倒れなくして、そのままで、見栄えが悪いままなのです。その身丈が、もう私よりも高くなってしまいました。風が吹くたびに揺れていますが、互いにぶつかり合ったりしないで、山でもある様に、屹立(きつりつ)し、孤高の花の様に咲き続けてくれました。

時々、わが家を訪ねてくる5才になったお嬢さんが好きで、家内に、『百合さん、コスモス欲しいの!』と言うので、家内はハサミを持って外に出て、花を摘んで、切り口に濡れたティッシュを巻いて、何度か渡してきました。風邪を引いたと聞いて、お父さんに持たせたこともありました。

見て分かる様に、花びらが整然とバランスよく並んで咲いているのです。それだからでしょうか、ギリシャ語の「調和」、「秩序」、「宇宙」と言う意味を持った「コスモス(κόσμος, kósmos)」が語源で、命名されたのでしょう。

中米メキシコからヨーロッパに持ち帰って、瞬く間に世界中で、タネが蒔かれ、植えられてきています。わが国には、明治の初年にやってきて以来、全国に拡散し、令和元年、栃木のわが家の軒下の長方形の鉢に、家内が発芽させた種を植えて、美しく咲き始めたのです。

「コスモス」には、《世》と言う意味もあるのです。海も、湖も、人の住む所も、悪や不正や不条理なことが起こるこの地上も、人の思惑だけが横行し、自然の猛威が荒ぶる世界も含むのでしょう。この反対語は、「カオス(Χάος, Chaos)」で、「混沌」、「無秩序」の意味を持ち、支離滅裂の状況を言います。現代の「人の世」は、悲しいかな、まさに「カオス」状態ではないでしょうか。
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そんな現代に向かって、「秋桜」は、整然と花びらをつけて、天に向かって屹立しながら咲いています。きっと、『秩序あれ!」とか『調和あれ!』と言いたいのかも知れません。
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100万匹

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近所の方が憤慨しているのです。三々五々とやって来て、電線に群れて止まって、やかましく鳴き、糞を落とすので、旗を降って追い払うのですが、翌日になるとまたやって来ます。

東アジア(中国、モンゴル、ロシア東南部、朝鮮半島、日本)に分布するのだそうで、日本国内ではほぼ全域に分布する留鳥なのです。都市部の人家付近や田畑などでもよく見られ、暗くなると駅の前の木に宿るのでしょうか。

農作物に害をもたらす害虫を餌にする《益鳥》で、親子8匹で、年間百万匹もの虫を捕食するのだそうです。農家にとっては大切な鳥になっています。それにしても、夕方の一時は、やかましい鳴き声で煩わされてしまい、今夕は、撮影してしまいました。
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心ふるわせて

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大陸で戦火が広がり
目をしばつかせ
その報せに耳たぶをふるわせ
真珠湾の奇襲を
えらいことが起こってしまったと心をふるわせ
焼夷弾を避けて
唇をふるわせて防空壕に走り
焼け落ちる家屋の音に
全身がふるえた

戦争が終わって
食べ物を求めて胃袋をふるわせ
平和な時代がやってきて
自由教育に目をしばつかせ
聞くこと見ることに心がふるえ
進駐軍の青年兵士に
心をふるわせて恋に落ち
嫁いで海を渡り
幸せになれると思いきや
寡婦になって
子二人をしゃにむで育て上げた

戦争花嫁の悲哀を
ふるえる心と舌でなめた過去
それを乗り越えて小さな幸せに心がふるえ
街角の集いに導かれて指をふるわせてピアノを奏で
感動で心をふるわせ
異国の街の人々の愛と好意に心ふるわせ
そして老いを迎えた

大陸に渡った妹のため
なけなしの中から
病でふるえる手元で小切手を書き
ふるえる手で封をし
投函された小切手
何度も何度も支えてくれた義姉
朝霞の郵便局で
書かれた宛名と名前の英文がふるえていて
判読できずに局員の心もふるえ
大金ではないがわずかな支えに
私たちの心がふるえた日々

今朝、その義姉が召されたとの知らせに
家内は覚悟はあったものの絶句し
愛姉の死を悼み
心をふるわせてその別れを受け止め
いのちの付与者の元に立ち帰った姉
ふるえた手も指も足も唇も、
そして心も
今安息の家で
感動にふるえている
再会の望みで空を見上げた家内

Were you there when they crusified Master !

(10/3 満州を走った「アジア号)、「真珠湾のアリゾナ記念館」です)
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晩期

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今朝の庭に咲く花々です。アサガオは晩期で、盛りが終わって、終息に入ろうとしているのでしょうか。落ちた種が、芽を出しましたので、別の鉢に移し替えました。これが、いつ咲くのでしょうか。華南の街では、正月を超えても咲いていましたが、北関東の下野国では、どうなるのでしょうか。ちょっと楽しみです。

家内の上の姉が、アメリカ東海岸の街で、召されたとの報せが、今朝ありました。苦労して二人の子を育て上げた義姉です。昭仁様と同い年で、乳兄弟姉妹になる様な誘い(乳母候補)があったそうですが、義母は、姉への授乳を優先したと聞いたことがあります。再会の望みがありますが、家内は悲しそうにしています。貧しい中、私たちの中国での生活を、たびたび支えてくれたのです。二人の義理の甥と姪に、天来の慰めがあります様に!
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鵜呑み

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2017年の4月に、腱板断裂の縫合手術のために、札幌の整形外科に入院している時のことです。手術の翌日から、リハビリが開始されました。その時の記事を再掲載します。

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今、午後4時前です。第1回目のリハビリを、2階のセンターですませて、病室に帰って来たところです。リハビリ歴2年の療法士の方が、装具を外し、ツボを押したり、筋肉をほぐしながら、腕を挙げたり伸ばしたりしてくれました。この《手術を終えた翌日のリハビリ》には驚きです。前回、12年前の術後のリハビリは、相当の日数が経ってからでしたから、リハビリ療法も、長足の進歩があるということでしょう。

この病院には、99人のリハビリ療法士がいるそうで、相当の規模の整形外科病院だと言うことでしょう。『腱板治療では、日本の第一人者で、先日、アメリカの学会に出席されていました!』と、ここの理事長の医師を、若い療法士が誇っていました。部下の尊敬度が高いというだけでも、素晴らしいことです。偉ぶったところがなく、《どこかのオッチャン》といった感じです。いい職場なのが分かります。

男性の看護師が、よく世話をしてくれています。《どうしようもない父》と死別して、母親の手で育てられたそうです。中高と6年間、居酒屋の皿洗いをしながら、看護専門学校を出たそうです。どんな父親であっても、良くても悪くても、《父は父なるがゆえに父として遇する》と言う、私が学んだ格言を教えて上げました。この入院先では、結構好い出会いと、関係がある様です。

明日からは、午前と午後のリハビリをするとのことです。今日の札幌は快晴、暖かな一日で、西日が病室の窓から入り込んでいます。札幌は、東に位置する北海道は、空が白んでくるのが早いのには驚きです。今日も好い一日でした。

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このリハビリを続けていた時、ベテランの療法士さんが、『ネットのサイトで、この病院を探し当てたんですよ!』と、療法中の会話で言いましたら、次の様なことを漏らしていました。『実は、あれは作為的に業者に委託して、トップに入る様に操作したもんなんです!』とです。
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まんまと私は引っかかってしまったわけです。あの上位に、その病院のサイトがあって、それを鵜呑みにして、札幌の病院に中国からメールで問い合わせたのです。そして、帰国して羽田空港から直行してしまったわけです。荷物が先に病院に届いてしまって、病院では受け入れるかどうかを会議までしたそうで、〈中国から来た日本人〉を、やむなく受け入れ、三日後の最終手術で、十二番目にしてもらったのです。

常時、60人ほどが入院していて、そこで術後のリハビリを受け、ある段階で第二病院に移されるのです。ところが、執刀医で院長が、自分の手元に、私をおいて診たいと言って、特例の扱いをしてくれたのです。実に腕の良い、気さくな医師でした。ネット操作はありましたが、最善の治療を受けられたわけです。

そんなで学んだのは、家内の生活上の必需品の購入で、ネットを利用する機会があり、〈どこの何を買うか〉なのます。その販売のランクの〈レビューの評価順〉も、そんな操作が多いに違いなく、鵜呑みにするのをためらうのがいいのかも知れません。ネット販売の会社の評価を参考にした方がいいのかな、と思っています。

(HP[日本旅行]から札幌の秋、病院食です)
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