今日の天気予報によりますと、気温は19℃、温かい一日なることでしょう。やはり「陽の光」の中に春が感じられるようになってきているにちがいありません。といっても今朝は曇天、太陽は顔を見せてくれません。昨晩、帰宅しました。3週間ほどの留守で、「住めば都」の言葉通りに、住み慣れた異国の街の借家が、「自分の棲家(すみか)」だと、改めて思わされています。祖国に帰国し、弟や息子の家に滞在し、居心地の好い接待を受けたのですが、決心して住み始めた、こちらの家を本拠としているのですから、里心を捨てて、ここを第一にしない訳にはいかないことになります。「第二の故郷」とはよく言ったもので、それぞれの理由で祖国から離れ、追われた人々にとって、いつまでも故郷は心の奥にしまいこまれているのですが、父が去り、母が逝ってしまった祖国の今は、思い出の中にだけあるようです。
先月の21日の午後、友人の車に送られて、町の北にあるバスターミナルに向かい、そこから長距離バスに乗り込みました。余裕で上海に着くと思いきや、どこだか確認しませんでしたが、杭州の近くのインーターの近くに、そのバスが停車して、5時間ほど運転手たちが仮眠し始めたのです。『いつ出発するんだい?』と問われても、彼らは上の空でした。杭州で乗客を降ろし、上海に向かったのですが、船のチェックインに間に合うかどうか、心配で心配でなりませんでした。結局、乗船客の最後で、ギリギリに間に合ったのです。薄い頭が更に薄くなってしまったと思って、船の洗面室の鏡に頭を写してみたのですが、さほどん変わりようはありませんでした。
同室になったのは、上の兄と同じ学年の方で、退職後、蘇州に住んで十数年といっておられました。3ヶ月に一度の帰国をしてきている大阪在住の方で、話し好きでした。名刺を交換したので、何時か訪ねてみたいと思っております。S大学の学生と風呂で一緒になり、交換留学を終えて、北京から上海に来て、そこからの帰国でした。なかなかの好青年たちでした。他人任せの旅には、もうコリゴリだなと思った私は、帰りの船便を1年オープンにして、帰路は大阪から飛行機にしたのです。
その飛行機の中で、トイレから席に戻ろうとしていた老婦人が、乱気流の中でヨロリとしたのを見て、隣の席の今風の中国人青年が、すくっと立ち上って、そのおばあちゃんをエスコートして席に連れていくのを見ました。実にさわやかで、情愛のこもった行為をみて、『人って、上辺ではなく、心なんだ!』と思うことしきりでした。この中国人社会には、こういった感心する青年たちが多くいるのを目撃して、「孔孟の教え」が二十一世紀の今にも、脈々と生きていて、とくに青年たちによって実行されているのを知らされるのです。素晴らしいことではないでしょうか。
夕闇の中、厚い雲をついての着陸でしたが、レーダーというのでしょうか、コンピューター操作で着陸できる時代だということを、改めて思い知らされました。「懐かしさ」、着陸してこの街の土に足が触れた時に、それを感じさせられたのです。多くの方々の善意で、念願の「査証」も発給され、もうしばらく、ここにいることが導きとの思いで、新たな一歩を記した次第です。東京の街に比べて、少々暗い夜でしたが、家内の待つ我が家にたどり着いて、ホッとしたのは家内も同じだったようです。
(写真は、飛行中の深セン航空の飛行機です)