満月

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今日は「秋分の日」です。少しばかり昼のほうが長いのだそうですが、24時間を昼と夜とで分けあうのですね。これから「冬至」まで、一日一日と日が短くなってくるのですが、太陽の運行とか、地球の自転とかを考えますと、エンジン機能も方向舵も持たない球体が、宙に浮いて、規則正しく運行している地球の上で、私たちは生活をしているというのは、当然でいいのか、それとも、その神秘に驚嘆すべきなのか、考えさせられてしまいます。

宇宙の広がりが天文学的な数の距離であって、しかも、その広がりが年々拡大しているのが解明されてきているのだそうです。これは小学校の「理科」を学んでから、私の関心の的なのです。何しろ、こんな重たい物体、地球にしろ太陽にしろ月にしろ、もろもろの星が、宙に浮いているという事実を、この小さな頭で理解しかねるのです。『引力によって!』という科学的な説明では納得できません。何か言い知れない力に支えられており、その均衡を保っている力があるに違いないと思われるのです。「物理学」や「天文学」や「重量の法則」などという学問の分野では、解明できない〈神秘さ〉が、私の思いを満たしてしまうのです。

何年も何年も前に、内モンゴールのフフホトという街を訪ねた時に、草原のパオに連れていってもらいました。そこで夜空の星を見上げたことがあったのです。『降る!』と表現するのが一番好い形容の草原の星に圧倒されたことを覚えています。信州の志賀高原から眺めた星も驚くほどでしたが、規模としては、大陸の夜空のパノラマは、例えようがありません。〈創造の美〉というべきでしょうか。人間の能力をはるかに凌駕していたので、自分が、どんなにチッポケに感じられたことでしょうか。自分の抱えていた問題の小ささがわかって、解放されたりもしました。

そんな神秘的な世界に目を向けると、地球なんて小さい衛星の一つであり、ここを私たちは生活の場としているのであります。そこにある「尖閣諸島」や「竹島」や「歯舞・色丹島」などが、ごく微小であることは事実です。『俺のもの!』と言い合ってる争いは、例え莫大な海底資源が、その周辺にあったとしても、取り合うのではなく、平和裡に、「共同開発」ができないのでしょうか。兄弟で、おやつをとり合って、泣かされたり泣かしたりした子供の頃を思い出して、今思うのは、『あの時、分け合ってたらよかったのに!』という思いにされます。

もう一週間ほどで、「十五夜」、「中秋の名月」です。今週、勤め先の「夕食会」があり、ごちそうになった帰りに、「月餅」を頂いて帰宅しました。デモ騒動の最中の会食でしたので、『いいのかな?』と思いながら出席し、箸を運んだのですが。そこは平和で、語らいも弾んでいました。『こんな和やかな話し合いができるはずだ!』と思わされました。月に人格があり、言葉があるなら、きっと、『そこで起こっている問題は小さいですよ。でもないがしろにしてはいけません。相手を尊びながら話し合ってごらん!』と言いたいのではないでしょうか。来週の月は「満月」です。「満月」の「満」は、「円満」の「満」なのですから。

(写真は、神戸観光壁紙写真集から「中秋の名月」です)

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