「とどのつまり」の今なのでしょうか

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『5 同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。
6 舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。
8 しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。
9 私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。 (新改訳聖書 ヤコブ3章5-9節)』

 「舌禍(ぜっか)」、「不適切発言」、「暴言」、「失言」と言う言葉があります。『あんなこと言わなければよかった!』と思うことが、自分はしばしばでした。上の娘に、『お父さん、あんなこと言ったら、◯◯さんが傷ついてしまうよ!』と言われたことがありました。一回や二回のことではなく、私の舌はじっとしていない悪の世界でした。

 言葉で失敗する人は、けっこう多くいるようで、どうも自分ばかりではななさそうで、安心しているのではありませんが、お仲間の多さに、同病相憐れむで、とくに有名人のそれは、気の毒に感じたり、影響力の多さに驚かされてしまいます。彼らは、マスコミを味方につけた時はいいのですが、敵にまわしてしまう「骨」なことが多そうです。

 私の父は、明治男だったからでしょうか、食卓に魚が並ぶと、美味しそうに食べておりました。鯛なんかは、食べ終わると、どんぶりに食べ終わった骨や頭を入れて、お湯を注ぎ、醤油をそれに差して、薬味で実に美味しそうに飲んでいました。家内に聞きますと、家内の家でも、同じだったそうで、昔の人は、そんな食生活をしていたのでしょう。

 海洋国家に生まれたのですから、季節に応じて、旬の魚が食卓にのりました。秋刀魚が出回ると、近所中が、七輪の火の上に網を置いて、それを焼くので、どの家からも煙が上って、モウモウと煙だらけになっていた光景をよく覚えています。庶民の魚、大衆魚は安くて、美味しかった時代の話です。

 秋刀魚とは違って、高級魚に、「鰤(ぶり)」という魚があります。醤油に、生姜や味醂で漬け込んだ切り身を、同じ様に、母が焼いていました。父の家は、男5人と母の6人家族で、魚を焼くのも、魚焼き機などない時代でしたから、夕餉の仕度は大変だったようです。

 この鰤は、成長時期、漁獲時期に応じて、名前が変わる魚なのです。稚魚から鰤になるまで、関東では、はまち・めじ・ぶり、また関西では、15センチぐらいまでをつばす、40センチぐらいまでがはまち、60センチぐらいまでをめじろ、それ以上が「ぶり」と呼ばれているそうです。
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 自分の骨格や身体を、魚を食べて形作ってきた日本人の繊細さには驚かされるのですが、先ごろ、話題になっていた「トド」も、二種類あります。

 魚の方は、成長に応じて、呼び名が変わる魚なのです。それで、「トドのつまり」という言い回しがあります。『とどのつまり、日本政府の今回の計画は失敗に終わってしまった!』と言う様に使われる言葉です。言い換えると、『結局のところ・・・』、『最終的に』という意味での言い回しなのです。

 魚の「ボラ」は、ハク(約3センチ)→ オボコ(5~10センチ)→ イナ(約20センチ)→ ボラ(30~40センチ)→ トド(50センチ以上)と、呼び名が変わるのです。「百々」と呼ばれる時期には、それ以上に大きくなることがないために、『結局のところ」、この名前に行き着くそうです。

 ただし、この「トド」は、海に棲息する哺乳類の「トド(セイウチの呼び名)」とは違います。人の身体が、とくに独身の女性の体型を、そんな言い方を、同性でも、冗談でも、笑いを取るのでも、言ってはいけない言葉です。言葉は、とてもtouchy(影響が微妙)で、不注意発言だと人や組織を傷つけてしまうので、注意しないといけない言い回しなのです。

 この「不義の世界」の「舌」で、多く失敗してきた私は、よく「軽口(かるくち)」をたたいてしまったようです。要注意、自戒の今ですが、「とどのつまり」、もう遅きに失した感がありますが、それでもと思っております。骨な人生だったのです。

※ 魚の呼び名は、地方地方によって独特に違っているようです。

(ウイキペディアによるボラ、トドです)
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