常々、『幸せだ!』と思うことがあります。それは、日本に生まれたこと、日本人であることです。ヨーロッパ諸国からは、「極東」、東の外れにある《野蛮人》の住む国だと揶揄されていました。隣の中国と比べて島国の小国で、まるで《箱庭》のようだと比喩されてきました。日本列島は南北に細長く、その中心部は高峻な山々が連なり、平地が少ないのです。大雨に見舞われると、河川が氾濫して、洪水が起こることもしばしばでした。台風の通り道で、来る年も来る年も、暴風雨にさらされ、大きな災害を被って来ました。環太平洋火山帯の上に、列島が位置していますから、《地震》が頻発し、地面が、ひっきりなく揺れ動く上で生活が営まれてきました。しかし先人たちは、この国を見捨てて逃げ出したり、諦めたりしなかったのです。『どうしたらこの国の中で生きていけるのか?』を考え続け、学び、挑戦し続けてきたのです。
静岡県の東部を富士川がながれておりますが、この上流は「釜無川」とよばれています。河川の氾濫を繰り返すので、こういった命名がなされた一級河川です。この支流に、「御勅使川(みだいがわ)」があり、この流れが釜無川に入る辺りが、一番の氾濫箇所でした。これに苦しめられてきた住民を、どうにか助けようとしたのが、有名な戦国の武将、武田信玄でした。彼は、中国の文献から学んで、「堤(つつみ・堤防)」を築くのです。大変な難工事でしたが、完成された時に、近辺や下流の農民たちに大きく感謝され、それ故、そこは「信玄堤」と呼ばれるようになったのです。
何年か前に、四川省に行きました時に、岷江(minjiang)という川にあります、「都江堰」を見学しました。この「堰」こそ、「信玄堤」の原型なのです。街に入った時に、大きな銅像があって、ガイドをしてくれた方が、『都江堰を築いた李氷の像です!』と教えてくれたのです。釜無川とは比べられないほどの水量の川でしたから、これを築くのは、難工事だったに違いないことが容易に分かったのです。私はいつも、中国に参りましてからは、ことのほか思わされてきているのですが、『中国人の智恵や工夫や実行力は素晴らしい!』ことです。「都江堰」に倣った「信玄堤」は象徴的であって、日本の政治、法、文化、芸能、教育など、あらゆる面で、中国に基礎を置いているわけです。ほとんどの我が国の事物の源流は、中国にあって、その知恵の恩恵を受けて、日本という国が出来上がったわけです。
その知恵を、日本という自然環境の現実に適用し、工夫を加え、改善して、日本が国として形成され、日本人が創り上げられたことになるのです。よく言われてきたことですが、『日本は猿真似王国だ!』、確かにそうですが、真似ただけで終わるのではなく、工夫改善が行われて、真似た原型を遥かに凌駕してきたからこそ、経済大国になることができたのです。失策も失敗もありましたが、まれに見る文明国になり、礼儀や態度の面では、世界的な模範になってきたのです。『黄色の出っ歯の野蛮人!』が、こんな国を創り上げてきた、先人たちの血を吐くがごとき努力に感謝し、この国に生まれたことを仕合わせに思うのであります。私が日本人であることを、決して恥じません。この戦後の六十数余年は、過去の過ちを悔い、十二分に償ってきましたしたから、いつまでも過去に因われる必要はないと、心底から思うのです。
若い世代のみなさんが、この国の先人たちを誇り、国を愛することができるように、心から願うのです。中国の若者たちが、国を愛し、生まれ故郷を誇り、次の時代を担おうと励んでおられます。先程もバスに乗って、招かれた昼食を終えて帰って来ましたが、家内が乗ってきますと、一人の青年がすくっと席から立って、家内に席を譲ったのです。先に乗った私は、その一部始終を眺めながら、『中国の次の時代は盤石だ!』と思わされたのです。席を譲ってくれたからではなく、ほんとうに立派に生きている若者が多いからです。彼らは、きっと「幸せな国」の国作りをしていくに違いありません。『日本の若者も、日本を誇り、日本を愛して、日本に生まれた幸せをかみしめて生きてもらいたい!』と願わされた、台風一過の午後であります。
(写真上は、山梨県のかまなしがわの「信玄堤」、下は、四川省の「都江堰」です)