気骨の人

 中国語では、大きさを「大小daxiaoダシャオ」といいます。『日本は大きいのがいいのか、それとも小さいのがいいのか?』、政治や軍事や経済の面で対照的な考えが、これまでありました。それは、家の大きさも、車も、自分の体だって、そうかも知れません。幕末の人物の中で好きだったのが、長州藩士(現在の山口県萩市)の高杉晋作です。倒幕、尊皇攘夷(日本で江戸末期、尊王論と攘夷論とが結びついた政治思想。朱子学の系統を水戸学などに現れ、下級武士を中心に全国に広まり王政復古・倒幕思想に結びついていった。勤王攘夷。尊攘。)」の中心人物でした。自分の藩のことだけではなく、日本の将来を危惧していた人でもあったのです。彼もまた、幕末に活躍した人物、西郷隆盛や坂本龍馬たちと同じで、石高の低い下級武士の子でした。

 1862年、明治維新が1868年ですから、その6年ほど前の五月に、長州藩の命を受けた高杉晋作は、中国の上海を短期に視察をします。彼22才の時でした。この留学は清朝の動静を探り、その情報を得る任務が課せられていたようです。当時の「清」がイギリスなどの欧州諸国の進出で、植民地化の動きがあるのを実際に観ます。「アヘン戦争」で敗れた中国は、イギリスの勢力の支配下にあり、その悲惨さを目撃します。また「太平天国の乱」で混乱する上海の世情も眺めるのです。このような清朝の「危機」は、何も対策を講じないなら、やがて日本にも、同じ危機をもたらせるに違いないと結論したのです。

 徳川幕府の末期は、風雲急を告げる様な世界の嵐の中にあったこと、その思いを強烈にしていた上海視察であったのです。長い鎖国によって欧米諸国に遅れをとっているという日本の現状の中での「危機感」でありました。高杉晋作は、「尊皇攘夷」の思いをさらに強くし、新しい日本の到来を願ったのです。ですから、明治維新以降、日本は、「遅れを取り戻すこと」、「欧米に追いつくこと」、「欧米を追い越すこと」を掲げて、「大日本」の建設をしていくのです。「殖産興業」、「富国強兵」は、明治維新政府のスローガンでした。それは、敗戦によって終わるのですが、国土も資源も小さな日本が、行く道を誤ったか、時代の動きに翻弄されたのか、鼻っ柱をくじかれることになって終わったのです。

 高杉晋作は、日本の命運に心を注いで、動乱の時代を駆け抜けます。しかし、1867年5月17日に、「おもしろきこともなき世をおもしろく」という辞世の句を残して、 28年の生涯を閉じてしまいます。彼の師は吉田松陰 でした。幕末に、多くの青年たちに精神的な感化を「松下村塾」で与えています。私が中学と高校で学んだ学校を起こした校長は、『松陰の弟子だ!』と言っていたのを聞いたことがあります(時代が違いますから、思想的な弟子のことでしょうか)。この「大国主義」の松陰の弟子の高杉晋作もまた、「大日本」を願ったのでしょう。松陰は29才で処刑され、彼も28才で病死していますが、血気盛ん、熱血の青年武士は、「大国」になっていく日本を夢見たに違いありません。

 私の好きな政治家、と言うよりはジャーナリストの一人が、石橋湛山です。彼は、「小国論」を掲げた人でした。「一切を棄(す)つるの覚悟」うを東洋経済新報の社説で述べるのです。1921年7月23日から30日の三週にわたってでした。次のように語りました。

『我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。志の小さいことだ。古来無欲を説けりと誤解せられた幾多の大思想家も実は決して無欲を説いたのではない。彼らはただ大欲を説いたのだ。大欲を満たすがために、小欲を棄てよと教えたのだ。~ もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、山東を棄てる、その支那が我が国から受けつつありと考えうる一切の圧迫を棄てる。また朝鮮に、台湾に自由を許す。その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的地位を保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、一斉に日本の台湾・朝鮮に自由を許した如く、我にもまた自由を許せと騒ぎ起つだろう。これ実に我が国の地位を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の地位に置くものではないか。』

と語りました。大きな国を目指して、産業界も軍部も、突き進む中で、こういった主張を恐れずにした湛山に驚かされるのです。時代に動きに逆らって、『否!』といえた気骨の人だったことになります。このようなジャーナリスト、政治家が、今の日本に必要とされているのではないでしょうか。一つの小話を。『国は大きいのがいいのか小さいのかがいいのか。松陰は「大きいのがいい」と言い、湛山は「小さいのがいい」と言います。そこに鼠がやってきて、「チュー」。』お後がよろしいようで。

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