無線士が転じて

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 父の事務机の上に、「打電機(電鍵)」が置いてありました。それは、モールス信号で、情報を送信する装置でした。軍需工場の秘匿の情報を、軍部との間で交わすためには、電話ではなく、この装置を用いるほど、機密性を大切にしていたのでしょう。

 戦争が終わっても、父の机の上には、それが残されて置かれてあったのです。それが、どんなものか学校に上がる前に、不思議でならなかったのです。ツーツートントンツウこのモールス信号で、情報を受け取り、送ることができるのを、この上もない装置だと思ったわけです。

 父が、街中の事務所に、『桂、電報持って登って来い!』と連絡していたのを覚えているのです。子どもの私は、その「電報」が、「鉄砲」に聞こえて、覚えているのです。いつまでも兄たちにからかわれました。そんなことで、社長になったり、博士になるなんて考えずに、船に乗って「無線士」になろうと考えていたわけです。まだ56歳ほどで、それほど、将来の職業志望を強く願っていたのです。

 それが中学に入ってから、担任が社会科の教師で、小学校でも社会科が好きで、興味津々だった私は、俄然、その教えに殴られたようになったのです。地理だったと思うのですが、「水に流す」と言うことを、長い時間をかけて説明してくれたのです。岩手県の北にある「弓弭の泉(ゆはずのいずみ)」から流れ下って、石巻に流れてくる北上川(旧北上川)は、蛇行している河川だと言うのです。

 その蛇行の地点に、地蔵が、多く置かれているのです。それが、天候異常の冷害で起こる飢饉で、それでなくとも東北地方の貧しい農村部では、食べることに窮して、生まれてくる子どもを、どうしても育てられないで、口減しをしていたようです。どうするかと言うと、北上の流れに流してしまったのです。

 そのようにして流された嬰児の亡骸が、蛇行地点にとどまっていたのを、その周辺の地の住民が、その亡くなった命を弔う意味で、地蔵を作って置いたのだそうです。「日本のチベット」と呼ばれた地域の悲しい東北地方の歴史を学んで、私は衝撃を受けたのです。担任の担当教科の社会科で、貧困や疾病、人柱や自殺、様々な社会の暗部を教えられたのです。

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 それが切っ掛けだったのでしょうか、この担任のような、社会科の教員になろうと考えたのです。この担任は、地理を教えるときも歴史を教えるときも、教材の掛け軸などを、両手に持って、教室にやって来て、淡々と教えてくれたのです。先輩から聞くと、東大出だそうでしたが、偉ぶることもなく、テカテカになった背広を着ていました。この先生の家に、級友たち45人で訪ねた時は、吉祥寺のお兄さんの家の二階にお住まいでした。りんご箱の上に、奥様がお茶を淹れ茶碗を置いてくれたのを思い出すのです。

 昭和30年代の初めでしたから、まだまだ日本は貧しい時代でした。後に校長となられた担任の先生でしたが、悪びれずに、生意気盛りの中学生を迎え入れてくださったのです。難しい本を読むように推薦してくれたことが何度かありました。何年か前に、無くした、一冊の本を読みたくなって、古書店から買って、読み直したこともあります。可能性を見て、子ども扱いをされない、叱る時は叱り、落ち込んでると、呼んで励ましてくれた先生でした。

 『三つ子の魂百までも!』と言われますが、一度立てた志は叶えられて、教員になることができたのです。これも能力ではなく、コネ( connection )ででした。コネだって、人生の財産かも知れません。もう一生懸命に授業の準備して、教室に行き、生徒の前に立ちました。そして精一杯教えたのです。あんなに充実していた日々はなかったほどでした。

 しかし、17歳の信仰告白後の曖昧な生き方から、真正のクリスチャンになったのです。パウロやペテロがそうであったように、主に仕える生き方に導かれてしまうのです。25歳の時でした。そんなこと、一瞬たりとも思ったことのない、キリスト伝道のために生きる願いでした。資格や能力を度外視した、不思議な迫りを感じたのです。ちょうど、ガリラヤ湖で網打つ漁民だったペテロたちが、『イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マルコ117節)』と、人の意思を度外視した、突如の招きによって、キリストの弟子とされたようにでした。

 宣教師の後の教会を、家内と共に,訓練期間と伝道牧会を34年ほどし、61歳になって、海を渡ったのです。省の大学の日本語学科で、日本語を教えながら、主の働きをさせていただきました。それも、驚くほど、考えられないほどの尊い経験でした。家族のように、彼の地の兄弟姉妹に支えられ、励まされて、13年を過ごせたのです。中学3年間の担任が、挨拶を交わす時、教壇から降りて、生徒と同じ高さにこだわったように、それを日本でも隣国でも、教室で励行しました。

 『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ289節)』

 ああ、人生とは、何と神秘的ではないでしょうか。神の恵み、恩寵は何と素晴らしいことでしょうか。母に宿った信仰を継承したこと、幼い日の願いを二転三転させて、主に仕えることができ、意味ある生を、糟糠の妻と共に送れたのは、望外の祝福でした。こんな私にも、子や孫にも継承され、限りない憐れみ、溢れかえる恩寵、一方的な選びに預かることができたことに、衷心よりの感謝を覚えるのです。

(「打電機」、「北上川」です)

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