おめでとう!

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老いゆきて 返しし免許 惜しむ猛暑(なつ)

 照り返しの強烈なアスファルトを、歩いて買い物に行きますと、『車があったらなあ!』と思わず独り言してしまいます。先週は、家内の通院日で、2時間かけて長男が来てくれました。〈男五十〉、親孝行には、忙しい身なのに、喜んで駆け付けてくれたのです。妹たちや弟の分も、との思いででしょうか。『あの免許証を更新して、今手元にあったらなあ!』、と仕切りに思う時がある私なのですが、その犠牲に感謝しているのです。

 十三年間の運転の blank(休止中の期間)で、『被害者になっても、加害者になったらいけない!』と決断して、免許の更新をしないでいたのです。その翌々年に、急遽帰国して、家内が入院したのです。車が運転できたら、様々に便利でしたが、東武宇都宮線で直に行けるので、定期券で病院に通ったのですが、それで3か月通い、退院後は、タクシーと息子の送り迎えで過ごすことができたのです。

 今回の通院の帰り道では、回転寿司で昼を済ませ、家内は、お土産に名物菓子店で、〈あんみつセット〉を買って、帰りに息子に持たせていました。『親しき仲にも感謝あり!』でしょうか。

 高校二年生の時に、母が、交通事故にあって、11か月ほど、隣街にあった共済組合病院に入院したことがありました。怪我で担ぎ込まれた街の病院での初期処置がよくなくて、化膿し、両足切断の恐れがあったのです。病院の待合室横のベンチに横になっている母は、苦痛に耐えていて、泣き言を言いませんでした。『こんなに強いのか!』と思わされた時でした。

 隣町の病院に転院して、切断は回避でき、長期入院となってしまったのです。兄たちは、家にいない時期でしたから、父と一緒に三男坊の私が、家のことを交互にし、母を見舞ったり、父が作った野菜スープや洗濯物を、バスに乗っては届けたりしたのです。

 興味深かったのは、母の入院した部屋が大部屋で、女性病室で、「女名主(おんななぬし)」が仕切っていたのです。副名主などがいて、序列の社会で、何かと意地悪やいじめがあったではありませんか。ぶん殴ってやろうと思ったほどでしたが、女に手を挙げてはいけない、しかも病人ですから、じっと我慢の子でいたのです。母の体を、行くたびに、お湯を運んで拭いて上げるのを、快く思わずに、そんな家族の世話を受けることのない名主が、母をいじめのターゲットにしたのです。あの子分衆のヘツライは大したものでした。

 母は、辛い子ども時代を通過してきたからでしょうか、クリスチャンだったからでしょうか、そんな仕打ちに〈平気の平左〉で、相手にしなかったのです。母は自分の痛みで、それどころではなかったこともあります。心根の強い母でした。病院社会の中に、治癒の遅い患者の自暴自棄、同病者への妬みと、様々に、心も病んでしまう人がるのです。それに追随して、自分への攻撃を交わす取り巻きがいて、もう悪社会そのものだったのです。

 母の傷跡を見たことがありますが、それは、医療ミスの跡で、夏場でも母は、厚手のストッキングを、その後ずっと着けていたほどです。その後、母が五十代の初めに、子宮がんになって、日赤病院に、9ヶ月ほど入院したのです。半年の余命の診断を、父に代わって、主治医から私が聞いたのです。

 それを父に伝えたら、『準、覚悟しような!』と言ったのです。その父は、61歳で、蜘蛛膜下出血、脳溢血で、あっけなく亡くなってしまいました。母は父と死別して、40年ほど生きて、95歳で帰天したのです。かく言う私は、外科系の怪我などで、入院を繰り返して、家内の入院以後、持病の腰痛も起こらず、風邪をひかないのです。一昨日、炎天下の散歩で疲れてしまったのでしょうか、めずらしきお腹を壊したのですが、もう回復しました。

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 祈りは、『二人が同時期に倒れないで済むように!』との嘆願ですが、父なる神さまは、それをお聞きくださっているに違いないと、感謝しているところです。そんな私たちに、声をかけてくれて〈日本ラーメン〉を食べたいと、遠慮がちに言った、二人の中国の街から見舞いに来てくださったお二人を、車で連れ出してくださる若き友人がいて、隣街のラーメン店にお連れいただきました。また老舗のケーキ店の焼き菓子を、お二人に、買うこともできたのです。

 一人の姉妹は、事業で忙しいのに、一週間の休みをとって、あちらのみなさんの愛心を届けてくださったのです。ここにいる間、スマホでお仕事もされておいででした。もう一人の方は、ずっと説教の通訳をしてくださり、お世話くださった姉妹です。学校の教師を、定年退職されて、コロナも収まりかけて、『やっと機会が与えられて訪ねられました!』言って来てくださったのです。ですから、感謝のつもりで、教会のみなさんにも、日本の有名なクッキーを買って持って行ってもらいました。

 さて、ラジオ体操仲間も、入院、手術、参加不能と、入れ替わりに、体調不良のようです。加齢と病気、人間の命の現実を、自他共に経験したり聞いたりしてしています。聖書には、次のようにあります。

 『そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」 (出エジプト1526節)』

 文語訳聖書では、『我はヱホバにして汝を醫す者なればなり(エホバ・ラファ)』と、最後の部分が訳されています。訪ねてくださったお二人の教会のみなさんは、このみことばの約束に立って、家内の「癒し」を、切々と祈っていてくださっといるのです。そして、『帰って来てください!』と言ってくださっています。

 一昨日は、「メディカル・カフェ・宇都宮」の集まりが、宇都宮市で開催され、家内は、家にいて、ZOOMで参加しました。会長をなさっている、宇都宮市内の病院の副院長さん、女医さんが、家内に、『お顔の表情がとってもいいですね!』と、医者の目で、映像で映し出される家内の顔を見て仰ってくれていました。そう言えば、このところ、元気が増し加わって来ているようです。ガンと闘う方、それを見守る医療関係者、患者家族、ボランティアのみなさんが、励まし合って続けている集いです。それは素晴らしい機会です。事務局の担当をされている方も、同信の姉妹で、時々、我が家を訪ねてくれ、良い交わりをさせていただいています。

主イエスの名に 主イエスの名に

癒し(勝利 救い)あり

主イエスの名に 主イエスの名に

病い(悪魔 とがめ)去り

神の御業を たれか知らずや

主イエスの御名により 勝利あり

 こんな賛美コーラスで感謝しているのです。賛美の好きな家内は、今日、八十歳の誕生日を迎えました。多くのみなさんに祈られ、励まされ、支えられて、《傘寿(さんじゅ)》を迎えられたのです。余命半年が、発病以来5年になり、回復途上にあります。まだ何かの生きる意味があるのだと、彼女も思っているのです。感謝ばかりの今であります。

 

 

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