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『神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。(詩篇147篇10節)』
古代社会では、力の象徴や速さのトップは、野や宿場間や戦場を駆ける交通手段や、運搬や、戦いに、大いに用いられた「馬」でした。貴重な家畜、助け手だったのです。私たちの生活を、多方面で助けていましたから、重宝されていたのでしょう。1964年、東京オリンピックの開催の年に、東京と大阪を結ぶ「東海道新幹線」が、線路の上を疾走しました。今や、「リニア新幹線」が、宙を浮いて前進する、超スピードで移動ができる時代になっています。
この詩篇は、そう言った「力」や「速さ」を、神さまは好まれないと言うのです。せっかちな私は、のんびりした性格の家内を受け入れるのが難しかったのです。でも、今振り返って、この五十数年を思い返して、比べてみますと、確かに行動が早かった私ですが、いつも物にぶつかったり、転んだりで、怪我することが多かったのが、私でした。堅実に、歩き始める前に、走る出す前に、よく考えて行動する家内の方が、優っていたので、もうすでにキャップを脱いでしまいました。
「牛歩豚行(ぎゅうほとんこう)」と言うことばがあるようです。牛も豚も、ノシノシと行く様を見せていますが、馬はつまずき倒れたり、塀にぶつかったりしますが、牛歩の牛や豚行のブタは、そう言った危険性はないと思われます。
豚に似ている猪(いのしし)ですが、その走る様を、「猪突猛進(ちょとつもうしん)」と言ったりします。その意味は、ある人間の性格や、生き方をそう言うのですが、この「猪突猛進」の人は、目標に向けて、傍を見て、状況を見ることをしないで、一直線に進むのです。設定した目的を達成するためには、がむしゃらに進んで行きます。
そう言った人は、行動の人として、好まれて、『こんな政治家がいたら、日本は変わる!』と好まれますが、実は失敗する可能性も大きくて、危なくて任し切れません。確かに、ラグビーの試合向きの性格ですが、それでも一歩一歩の前進の方が、勝利に近そうです。失敗の確率は少ないのでしょう。創造者でいらっしゃる神さまは、《堅実さ》を好まれ、人に、それを求めておられのかも知れません。だからでしょうか、イエスさまは、エルサレム入城の折に、ろばに乗っておいででした。
人間の歴史を見る時に、馬よりも牛を、力よりも技を、速さよりも一歩一歩の大切さを生きた人、団体、国家の方が、長らいでいるのです。先日も、『ずいぶん歩いて来たものだ!』と、自分の過ぎた年月を思い返したてブログに記しましたが、倒れては立ち、病んでは癒え、泣いて流した涙を拭き、悪さをしては謝りをくりかえしてきた自分ができなかった「牛歩」の家内の方が、はるかに優れた生き方をしています。それが「馬の力(速さ)」や「歩兵」を好まれない神さまの、御心に適っているようで、もうバンザイのこの頃の私であります。
(”https://www.vecteezy.com/members/alexander7david“のイラストです)
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